2004年10月05日(火) 20:12
馬場コンディションが勝負の行方を大きく左右した凱旋門賞となった。
第83回凱旋門賞を制したバゴは、もともとフランスの3歳世代では最強と言われていた馬だ。2歳時、G1クリテリウムインターナショナルを含めて4戦4勝。今季のダービーへ向けたアンティポストで常に上位人気にあったバゴ。ウィルス性疾患のため3歳キャンペーンのスタートが遅れ、春のクラシックは棒に振ったものの、G1ジャンプラ賞、G1パリ大賞典を連勝してデビュー以来の成績を6戦無敗とした時には、かつてスピニングワールドやティッカネンを手がけたジョナサン・ピース師をして「自分の手がけた最強馬」と言わしめ、スーパーホースとして今季の欧州中長距離路線を支配することが期待されたものだ。
ところが、古馬との初対決となったヨークのG1英インターナショナルSで3着と敗れ、連勝がストップ。更に凱旋門賞へのプレップとして臨んだG2ニエル賞でも3着と敗退し、評価は急降下したのであった。
だが、このところの2走にはいずれも、はっきりとした敗因があった。いつもの年ならパンパンの高速馬場となるはずのヨークが、今年は珍しく道悪。前走のロンシャンは更に含水量の多い重馬場で、バゴの持続力あるスピードが活かせなかったのだ。
「距離さえ保てば」と言われたバゴにとって、ペネトロメーター『3.0』というこの日のロンシャンは絶好の舞台だった。97年のパントレセレブルに次ぐ、2分25秒0というレース史上2番目の好タイムで凱旋門賞を制して、見事復権を果たした。
一方、人気を分け合った英仏3歳馬2騎にとっては、この高速馬場がアゲインストの風となった。
英ダービーを強い勝ち方で制し、近年の英ダービー馬の中でも上位の実力があると高く評価されたノースライト。続く愛ダービーでグレイスワローに敗れた時ですら、陣営の口から「馬場が固すぎた」とのエクスキューズが聞かれたこの馬に、この日のロンシャンの馬場が合うはずがない。パドックで見せた馬体の作りは抜群で、「さすが休み明けでここまで仕上げるマイケル・スタウトは凄い」と関係者がこぞって絶賛していただけに、敗因は馬場に尽きるだろう。
プロスペクトパークも、1番人気を裏切り敗れた仏ダービーが高速馬場。「やっぱりこの馬は力がある」と、ファンが見直すきっかけとなったのが、鼻差の2着と健闘した前走のニエル賞だったのだが、この時のロンシャンは道悪だった。サドラーズウェルズ特有の力馬タイプのこの馬にとっても、凱旋門賞当日のロンシャンの馬場は、能力を発揮出来る舞台ではなかったようだ。
一方、パンパンの良馬場というおあつらえ向きの舞台を、残念ながら活かすことが出来なかったのが、タップダンスシチーだった。
上位に来たバゴ、チェリーミックス、ウイジャボードは、いずれも中団以降から追い込んだ馬だった。そういう意味では、展開に恵まれなかったとも言えるが、キアラン・ファロンの乗るノースライト、オリヴィエ・ペリエの乗るプロスペクトパーク、フランキー・デットーリの乗るマムールといった、名手が操る有力馬たちと相前後するポジションをとった佐藤騎手の騎乗は、非の打ちどころがなかったと思う。
直線における急激な失速振りは、本来の姿からすれば「ありうべからざるもの」ではあったものの、一方で「たられば」を展開することすら憚れる完敗であったことも確かで、日本馬による世界制覇はまたしてもはかない夢に終わった。
月並みな言い方になるが、今、改めて痛感させられるのが、エルコンドルパサーの偉大さである。「シンザンを越えろ」との目的が、シンボリルドルフの出現によって達せられるまでに20年という歳月を要したが、エルコンドルパサーを越えるためには、更に長い年月がかかるかもしれない。そんな、後ろ向きの覚悟も「むべなるかな」というのが、現在の正直な感慨である。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。