日高管内議員連盟、笠松へ

2004年10月05日(火) 23:11

 8月以来、地方競馬の廃止問題が次々に浮上し、もはや待ったなしの状況になりつつある。

 先々週、この欄で触れた「笠松・愛馬会」による署名の依頼とは別に、今度は生産地の「日高管内議員連盟」(各町の町会議員で構成)が中心となって、ここ日高で署名活動を展開している。仄聞するところによれば、10月8日までの日程で、できるだけの多くの署名を集め、13日には岐阜県笠松町まで足を運ぶ計画という。競馬場を訪れると同時に、県の副知事にも面会し、笠松競馬場の存続を陳情する予定だそうだ。

 もちろん、笠松のみならず、先に廃止報道が流れた北関東の2つの競馬場(高崎と宇都宮)からも、廃止反対のための署名活動の依頼が日高軽種馬農協などを通じて舞い込んだ結果、生産地の人間でさえ混乱してしまうほどの状況に陥っている。「署名はこの前に済ませた」などと言われ、「それはどこの競馬場ですか?」と尋ねると「さて、どこだったかな」といったやりとりが実際に多かったらしい。生産地とはいいながら、実は地方競馬のことをよく知らないという人も少なくないので、複数の競馬場の廃止報道が流れると、こんな混乱が起こる。

 ところで個人的には、生産地からの署名の束が、果たして各主催者や行政にどれほどのインパクトがあるものか、やや疑問に思わぬでもない。実際、存続へ向けての何より大きな“追い風”となるのは、やはり日々開催ごとに競馬場へ足を運んでくれるファンの方々の声や熱意なのではないか、と思う。地元から競馬場を存続して欲しいという要望が大きくなればなるほど、廃止論者たちはその声を無視できなくなるはずだし、競馬に関わる人々の声とファンの要望とが合体して行けば、道が拓けるのではないだろうか?

 去る10月3日(日)、「浦河競馬祭」(伝統の草競馬)に出かけていた私の携帯に、大月隆寛さんから電話がかかってきた。「今、笠松のI調教師夫妻と一緒に浦河に来ている」とのこと。さっそく会うことにした。

 大月さんとは古いおつきあいだが、I調教師とは初対面だった。聞けば今回は、廃止報道が流れたことで、いてもたってもいられず、個人的に関係者のところを回り、廃止反対運動への協力を依頼して歩くつもりだという。Iさんは調教師だが、調騎会(調教師会)の会長でもなければ役員でもないので、会を代表して出張してきたのではない。文字通り、個人レベルで生産地を訪れたのだそうである。「事態は本当に深刻です。今、何とかしなければ本当に潰されてしまうかも知れません。そうなれば、私たちは生活の基盤を失うことになるし、路頭に迷うことになる」と強い口調で私に訴えるのだった。

 笠松のみならず、どこの競馬場であっても、廃止されれば私たちの生産する馬は、その分だけ行き場がなくなる。需要の減少は確実に生産地をますます窮地へと追い込むことになるわけで、「生活の基盤が失われる」ことに関しては、I調教師のみならず我々生産者にとっても同様の深刻な問題なのである。

 ちなみにI調教師夫人は「笠松・愛馬会」の有力メンバーである。現在のところ、廃止反対と声高に叫び、何とか存続させようと必死に活動を続けているのはこの愛馬会の面々なのだ。本来ならば、調騎会も、騎手会も、厩務員組合も、馬主会も、そして何より当の岐阜県競馬組合そのものも、廃止反対へ向けて一丸にならなければならないはずなのだが、ここで大同団結が実現できていないところが気になる。

 なお、先月中旬の廃止報道の後、様々な形で笠松のことが話題になり始めた。インターネット上では、このほど「笠松競馬を未来へつなごう」というサイトが熱心なファンの手によって開設され、そこでは「笠松競馬経営問題検討委員会」による中間報告も閲覧できるし、愛馬会の活動も詳細に紹介している。廃止反対への電子署名も可能だ。ぜひ一度覗いていただきたいと思う。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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