2004年10月12日(火) 19:29 0
英国のニューマーケットで10月5日から8日まで行われた『タタソールズ・オクト―バーセール・パート1』は、512頭が総額5263万1500ギニーで購買され、平均価格10万2795ギニー、中間価格7万ギニーという成績に終わった。
このコラムでもこれまで何回か触れているように、今年からニューマーケットにおけるイヤリングセールのフォーマットが変更。従来のプレミア・マーケットだった『ホウトン・セール』が消滅し、『オクトーバー・パート1』に吸収合併される形で行われただけに、前年の数字と比較して市況を語ることは不可能だったが、市場の構造を分析すると、おぼろげながらも幾つかの傾向が導き出される。
まず最も顕著だったのが、トップエンドのマーケットが不調だったことだ。昨年は、ホウトンとオクトーバー・パート1を通して5頭いた100万ギニー以上の“セブン・フィギュア”が今年はわずか1頭。ミリオネア減少の要因は単純で、金の玉子を巡って繰り広げられるクールモアVSマクトゥームの戦いを、ほとんど見られることが無かったからであった。
今年、マネーバトルから一歩引いた戦いをしたのが、マクトゥーム兄弟だった。モハメド殿下もハムダン殿下も、セレクトセッション終了以降の7日(木曜日)まで当人がセリに参加し活発な購買を行ったのだが、リクルートした若駒は価格帯で言えば20万ギニーを中心にして、10万~30万ギニ―の間で落札した馬がほとんど。この大幅な戦略転換が、市場に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。
今年の市場でもう1つ目についたのが、購買者側のトレーナーを中心とした人たちの間で見られた“逡巡”だった。フォーマットの変更によって市場の汐目が読めなくなり、流れがどの段階に差しかかったら良いのか戸惑っているうちに、結局買い控えてしまったという人が、少なからず見られたようなのだ。
人々の逡巡は、マーケットの構造が日によって変わったことにも表れていたと思う。初日は、高い馬と低い馬の落差が激しく、中間層の需要が薄いラフな市場だった。ところが一転、2日目はミドル・マーケットが堅調で、トップエンドが低調。3日目は各価格帯で活発な取り引きが行われたと思ったら、4日目は一転して落ち込んで上場馬の3分の1がバイバックと、まさに汐目が猫の目の如く変わったのだ。3日目の市場の強さを見て、購買の矛先を11日からの『オクトーバー・パート2』に絞ったバイヤーは、4日目の取り引きを見てホゾをかんだことだろう。
最高値は、初日に上場された父デインヒル×母ボーディゲラの牡馬。02年の欧州古馬チャンピオン・グランディラの半弟にあたるこの馬を、クールモア・チームの代理人デミ・オバーン氏が115万ギニーで購買した。ちなみにアンダービダーは、日本人だった。
その日本人によると見られる購買は、確認出来たところで8頭。市場3番目の高値となる70万ギニーで購買された父サドラーズウェルズ×母ベックスの牡馬を筆頭に、00年の欧州3歳牝馬チャンピオン・ペトルーシュカの半弟にあたる父レインボウクエストの牡馬(26万ギニー)、母が仏オークス馬カーリーナという父ファンタスティックライトの牡馬(15万ギニー)、同じく15万ギニーで購買された父シングスピール×母エレガントの牡馬など、楽しみな逸材が多い。
このところ、ホウトン/オクトーバーにおける日本人購買は年に2~3頭という規模だっただけに、05年デビュー組の外国産馬はこれまでになく欧州血脈が幅を利かすことになりそうだ。
合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。