【的場文男×小牧太】『時代を築いた男たちの帝王学』(2) ―40歳から目指し始めた「全国1位」の座

2016年08月02日(火) 18:01 60

太論

▲南関、兵庫でそれぞれトップに立ち続けたふたり 頂点を見た者だけが知る苦悩とは

今週は『的場文男×小牧太対談』第2弾。今週の話題は、「トップで居続けることの苦悩」についてです。大井ですでに頂点に立っていた的場騎手が、全国1位を目指すようになったきっかけは何だったのか、小牧騎手がトップを守り続けるために起こした行動とは──。熱い対談はまだまだ続きます! (取材・文:不破由妃子)


※本対談は、2014年5月29日に発売された書籍『小牧太の“太論”~なぜ馬に乗り続けるのか~』の特別企画として、同年3月31日に収録したものを、一部加筆・訂正して再掲したものです。

(前回のつづき)

トップで居続けることの難しさ

──その結果、的場さんはデビュー11年目、小牧さんは8年目にリーディングを獲られて。以降、おふたりの時代となったわけですが、トップに立つこと以上に、トップで居続けることはとても難しいことでしょうね。

的場 結果論の世界だからね。とにかく結果を出し続けるしかなかった。

小牧 リーディングをずっと獲っているときは自信もあったけど、負けたくないという気持ちがすごく強かったですね。9年連続でリーディングを獲って、10年目に初めて岩田くんに獲られたときは、やっぱりすごく悔しかった。次の年には獲り返しましたけど。

的場 そうかぁ、小牧くんも10回もリーディングを獲ったんだ。改めてすごいジョッキーだよね。

小牧 いやいや、的場さんなんて20回以上じゃないですか。21回でしたっけ?

的場 うん。それだけ速い馬に乗せていただいたから、みなさんのおかげだよね。一番勢いのあった10年間くらいは、大井だけで年間180~200くらい勝ってたよ。だから、40歳までは、ほとんど大井以外には乗りに行かなかった。

小牧 えっ!? それはなぜですか!?

的場 遊びたかったから(笑)。年間200勝できるなら、大井だけでいいやと思ってたんだよね。だから、総合リーディングで桑島さんや石崎さんがトップに立つなかで、大井しか乗らない俺はずっと2位だった。

小牧 そうだったんですね。総合でも1位になりたいと思わなかったんですか?

的場 そう思って、40歳から大井以外でも乗り出したんだよ。それで、43歳、44歳のときに全国1位になれてね。女房に怒られて、ちょうど遊びを止めた時期でもある(笑)。

小牧 なるほど(笑)。僕がJRAに移籍したのが37歳になる年でしたからね。それでもギリギリの年齢だなと思いましたから、40歳で新しい挑戦を始めるなんて、本当にすごいことですよ。

太論

▲「40歳で新しい挑戦を始めるなんて、本当にすごいことですよ」

「馬に乗っているか、寝ているか」、そんな時代もあった

──園田時代、小牧さんは自分で馬集めをしていらして、すごく大変だったとのことですが、的場さんもすべてご自分でやってらっしゃったんですか?

的場 そうだね。当時はエージェントなんていなかったから。でも、放っておいても依頼がバンバン入ってきたから、俺はいい馬を選んで乗っていけばよかった。小牧くんだって、あれだけ勝っていれば自然にいい馬が回ってきたでしょ?

小牧 いえ、全然そんなことはなかったです。自分で営業をして、走ると思えば人の馬も取ったし……。「そういうこともしなければアカン」というのが、曾和先生の教えでしたからね。でも、性格的に向いていなくて、すごく嫌でした。

的場 そうかぁ。でもまぁ今は楽だよ。エージェントに全部任せっきりだもん。攻め馬の頭数も少なくなったし、今の騎手は楽だと思うよ。俺たちの頃は、ナイターの最終まで乗っても、3時くらいには起きて攻め馬をしていたからね。小牧くんもそういう時代だったでしょ?

小牧 そうです、そうです。まだ暗いうちに起き出して、20頭近く攻め馬をしていましたね。それが当たり前でしたから。

的場 俺もそうだった。毎日3時くらいに起きて10頭近くの攻め馬をして、毎日レースに乗ってね。さすがに体力的に限界を感じたよ。年間360くらい勝っていたころは、「馬に乗っているか、寝ているか」という日々で、そういう時代がしばらく続いたもんね。よく体が持ったよなぁ。

小牧 的場さんの場合、大井だけではなく、川崎、船橋、浦和と回っていたんですものね。園田はナイターもないし、開催も少なかったから、そこまでではありませんでしたけど。

的場 周りの人には、「なんでそこまでするの?」って言われたよ。でも、頼まれるからしょうがない。だから、それを努力というのであれば、そういう努力は惜しまなかったね。今はもう、2、3頭しか攻め馬はしないけど。

小牧 それでも毎日2、3頭は攻め馬をされているんですね。

的場 やってるよ。昔を思えば、今はすごく楽。今の若い騎手は、全然攻め馬をしないからねぇ。俺と同じ2、3頭でも、大変だと思ってる。

小牧 その状況が当たり前の若手にとっては、仕方がありませんよね。的場さんは、いつから攻め馬の頭数を減らしたんですか?

的場 自然と減ったね。周りも「そんなにやらせたらダメだよ」って。小牧くんも、中央に行ってから楽になったでしょ?

小牧 はい。でも、最初の頃は暇で暇で……。調教といえば追い切りだけだし、開催も土日しかないから、何をしたらいいのかわからなくて、時間を持て余していました。でも、そういう生活に慣れてしまうと、追い切りすら億劫になる(笑)。

的場 人間、そんなもんだよ。

小牧 的場さんは、モチベーションが下がったこととかないんですか?

的場 う~ん、今かな。今はもうガクーンと下がってる(笑)。もう57歳だからねぇ。この年でモチベーションが高かったら大変だよ。周りからすれば、邪魔者ですよ(笑)。

小牧 そんなことはないでしょう。去年(2013年)だって150も勝ってらっしゃるし。

的場 56歳で150勝できたのはうれしかったね。偉大な竹見さんですら、俺くらいの頃は50勝できなかったんじゃないかな。だから、周りのみんなは俺に早く辞めてもらいたいと思ってるよ(笑)。小牧くんはいくつになったの?

小牧 早いもので、今年の9月で47歳になります。

──そういえば、おふたりは誕生日が同じなんですよね(9月7日)。

的場 そうなの!? それは知らなかった。

小牧 僕、知ってましたよ。

的場 そうかそうか。じゃあ、9月7日生まれの人間は、頑張り屋さんなんだね(笑)。

太論

▲誕生日が同じふたり「9月7日生まれの人間は頑張り屋さん(笑)」

(※2014年3月31日収録)

次回へつづく


【ユーザーからの質問コーナー】

Q.野球の選手育成アプリで、選手名を「小牧」にして、速球派の抑え投手を育成しました。小牧さんは野球はお好きですか? また、自分が野球選手なら、どのポジションが向いていると思いますか?

小牧 育成されとるんや(笑)。野球は嫌いじゃないし、機会があればプレーするけど、最近はもう詳しくはないです。子供の頃は、巨人の大ファンやったけどね。なんせ鹿児島は巨人戦しか映っていなかったから(笑)。小学校に上がった頃やったかなぁ、青島(宮崎県)にキャンプにきていた長嶋監督に会いに行ったこともあるよ。園田では阪神ファンが多かったから、常に阪神は気にはしていたけど、好きだった球団といえば、真っ先に巨人が浮かぶね。

――ご自分に向いていると思うポジションは?

小牧 子供の頃は、ずっとソフトボールをやってたんやけど、当時はキャッチャーだったわ。野球のポジションは…、ちょっとわからんわ(苦笑)。


☆TCKからのお知らせ☆

8月3日(水)は大井競馬場に武豊騎手&内田博幸騎手が来場!

太論

▲19時10分頃~ゴール前賞典台にて、SPトークショーを実施!(写真提供:TCK)

サンタアニタトロフィー(SIII)が開催される8月3日(水)は、大井競馬場に競馬界のレジェンド武豊騎手と元大井のトップジョッキーで中央移籍後も大活躍の内田博幸騎手が来場! MCにnetkeibaでもお馴染みの島田明宏さんを迎え、スペシャルトークショーを開催します。

トークショーでは、今年アメリカ競馬に参戦した武豊騎手の貴重なエピソードを披露頂くほか、ラニ号関係者(前田幸治オーナー・松永幹夫調教師・武豊騎手)及び内田博幸騎手のご協力のもと、チャリティーオークションを実施します。

8月3日(水)はnetkeibaオンラインクーポンをご利用の上、ぜひご来場ください!

TCKクーポン
※印刷不可。入場時にスマートフォンまたはタブレットでご提示ください。

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小牧太

1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。2024年には再度園田競馬へ復帰し、活躍中。史上初の挑戦を続ける。

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