第25回町民乗馬大会

2004年10月20日(水) 11:45

 毎年春と秋の二回、ここ浦河町では町民乗馬大会が開催される。「乗馬人口5000人の町」を目指し、かなり以前からこの町は乗馬普及に力を注いできた。

 やはり直接のきっかけになったのは、今を去る16年前の平成元年、この町で「はまなす国体」の馬術競技が行われてからだろう。その時に競技会場として町有地に一周800mの馬場や覆い馬場、厩舎などを新設し、国体以降はここが町の乗馬公園として乗馬普及の基地になった。

 さて、去る10月16日(土曜日)、この浦河町乗馬公園を会場に開催された「第25回町民乗馬大会」は、好天にも恵まれて多くの町民で賑わった。出場選手は8つの競技に約130名。上は60代?から下は小学校1年生まで、まさに老若男女の面々。いずれも乗馬愛好者という共通項だけで集まった人々である。

 町のみならず、乗馬普及にはJRA日高育成牧場の存在も外すことができない。JRAでは各競馬場単位でそれぞれ独自に乗馬普及に力を入れているらしいが、ここ浦河にある日高育成牧場でも、乗馬少年団活動に熱心に取り組んでおり、余談ながら我が娘(小学校6年生)もその一員として活動中である。

 一方の年配者の方は、まさに経歴(乗馬歴)もまちまちで、例えば転勤族で浦河に赴任してきたサラリーマンが初心者教室に通ううちに乗馬にハマった人もいれば、大学時代に学生馬術で鳴らした人や民間の育成牧場で日々調教に従事する人、JRAの職員など、まさに千差万別だ。

 当然、技術レベルもかなりのばらつきが見られ、まだまだ初心者マークの取れないような人から、ほれぼれするような手綱さばきを披露する人まで、その落差の大きいのも町民大会の特徴と言えるだろう。

 この日、まず最初に戸外の馬場内で行われたのは障害飛越競技。障害は丸太(直径15cm、長さ4mほどはあろうか)を何段かに重ねて競技場内に計9ヶ所、設置されている。それを制限時間内に順番に飛越する。障害の丸太は馬が脚を引っ掛けると落下するようになっており、落とせばその分は減点される。

 減点なしの人たちだけが、すぐその後にジャンプオフ(決勝)へと駒を進める。ジャンプオフは、あらかじめ決められたいくつかの障害(9ヶ所のうち4ヶ所程度)を飛越し、タイムと減点で順位を決める。減点なしで並んだら、タイムの速い方が勝ちである。

 後は部班運動とジムカーナ、この三つが馬術競技の主要な種目だろうか。部班は、数頭の馬が列になり、指示に従って騎乗者が操縦するもの。前後の間隔を取りながら、まっすぐ走らせたり、廻したりすることで、いかに指示通りの動きができているかを争う。また、ジムカーナは、あらかじめ決められたコースを走らせてタイムを競う競技だ。飛越のための障害こそ置いていないが、コーンの間をスラロームで抜けたりしなければならないので、これも技術を要する。それぞれ奥の深い競技だが、敢えて順番をつけるとしたら、まず初心者は部班運動からスタートし、やがてジムカーナ、そして最後に障害飛越というステップになるだろうか。

 ところで、生産者の中には、馬に乗れない人がかなり多くいる。年配者にその割合が高いような気がする。訓練を受ける機会がないまま、長じて親の跡を継いだ人が少なくない。

 かく言う私も、実は乗馬はほんの1〜2ヶ月間、JRAで訓練を受けただけだ。乗れないと言った方が近い。娘の乗馬などに付き添い、ここ数年は乗馬大会などに顔を出すことが多いのだが、そのたびにコンプレックスを感じる。

 それにしても、乗馬の開始年齢は実は早ければ早いほど良いのだそうだ。ミステリー作家のディック・フランシスの自伝(「女王陛下の騎手」)などを読むと、本当に幼児期からポニーの背中に乗って大きくなったことが記されているので、それもうなずける話である。ただ、現実問題として、日本で小学生のうちから乗馬に親しむことの可能な環境にいる子供が果たしてどれだけいるものか、と思わないでもないのだが・・。その点だけは、この町の子供たちは恵まれている。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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