日高管内軽種馬活性化シンポジウム

2004年11月16日(火) 19:26

 11月15日(月)、浦河町総合文化会館にて、「馬産地日高!今、行動を起こす時」と題するシンポジウムが開催された。

 折からの悪天候の下、放牧していた馬たちを午前中のうちに早々に収容した牧場も多く、晴れていれば厩舎作業に追われる時間帯(午後1時半から3時半)だが、天候も味方をして何とか私も会場に駆けつけることができた。

 主催は日高地区軽種馬産業活性化推進議員連盟連絡会。日高の基幹産業である軽種馬産業を活性化し、生き残るための展望を模索しようというものだ。会場には管内各町から役場職員や農協関係者、そして私のような生産者など約200人が参加した。

 まずシンポジウムに先立ち、基調講演が行われた。講師として演台に立ったのは、シンポジウムのコーディネーターも務める古林英一・北海学園大学教授。氏は1958年兵庫県尼崎市生まれ。2000年より同大学経済学部の教授として勤務する傍ら、北海道地方競馬運営委員会委員として、道営ホッカイドウ競馬の振興のために尽力してきた経歴も持つ生粋の競馬ファンである。競輪にも詳しい。

 古林氏は地方競馬が今日のように衰退してしまった原因として、レース体系やレースの面白さ、馬券発売に関しての利便性と多様性、さらに情報量(レース映像、馬券推理のための情報源)の三点を挙げ、中央競馬と比較するとこれらが劣っていたことに言及し、決して景気の後退によるものだけではないことを強調した。そして、中央、地方を包括した新しいニッポン競馬の方向性を馬産地から発信して欲しいと締めくくった。

 続いて行われたシンポジウムには、下河辺俊行氏(牧場主、日高軽種馬農協理事)、高倉克巳氏(道営ホッカイドウ競馬担当、競馬ブック記者)、岡田繁幸氏(牧場主、クラブ法人代表)、藤沢澄雄氏(牧場主、北海道議会議員)の4氏がパネリストとして出席。それぞれの立場から、馬産地日高の再生、活性化と、地方競馬の蘇生策について語った。

 内容はかなり多様多岐にわたるため、とてもそのすべてを紹介することは不可能なので、いくつか印象に残った発言だけを記すことにする。

 まず下河辺氏の発言「現在のJRAに地方競馬を支援するような空気は感じられない」というもの。氏は生産地対策についてJRA側と交渉してきた経験から、このところの低落し続ける馬券売上げにより地盤沈下の著しい地方競馬を救済するのは競馬社会の上部にあるJRAの役割のはずだ、と主張し、他のパネリストも一様に同調していた。

 このような「競馬社会のピラミッド構造を下支えするのが生産者と地方競馬である」という認識は日高に限らず、生産界に一般的な論理である。しかし、現状ではJRAにそんな認識は乏しく、むしろ「厄介者扱い」なのではないか、という気がする。悪名高い閉鎖的な厩舎制度を温存したまま、手をつけやすいところから切って行く、という手法は、97年の4兆円をピークに下降し続ける馬券売上げを背景にすでにさまざまな部分に及んでいるが、とりわけ地方競馬関連と生産地関連の予算に顕著にそれが表れているように思う。

 また、岡田繁幸氏の「日高の生産馬はG1競走になると、社台の馬に勝てない。それは運動量の違いから来るものだ。私は現在400町歩の土地を所有し牧場経営を行っているが、それは広い土地で昼夜放牧を実施し運動量を豊富にして馬を鍛錬したいため。このままだとますます社台と日高の差は広がるばかりだ」と奮起を促す発言が印象に残った。また氏は「コスモバルクは中央の厩舎制度のあり方に一石を投じた。地方競馬に在籍しながら中央のG1を目指す道筋が確立すれば、安い預託料の地方競馬からでも夢を持てる。それには、中央と地方との障壁を解消し一体化することが理想的だ」とも訴えた。

 高倉氏、藤沢氏もそれぞれの立場から貴重な発言をし、盛会のうちにシンポジウムの終了時間を迎えた。惜しむらくは、会場を埋めた多くの参加者との質疑応答の時間が取れなかったこと。日高の活性化、地方競馬の人気回復、中央と地方との関係、日本の競馬の進むべき道など、テーマはあまりにも多様多岐であり、正直なところもっと時間が欲しかったような気がする。

 もっと言えば、変わりやすい天候の晩秋の昼下がり、この日程、この時間帯はいったい誰を対象として組まれたものか?生産者の姿が割に少なかったのはおそらくこの辺に原因がある。晴れていても午後4時には放牧中の馬たちを収容しなければならないこの季節、私たち生産者をもっと集めようと思うならば夜間に開催するべきだったのでは?と残念に思う。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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