2016年11月22日(火) 18:01 86
▲現役時代のユキンコと担当の沢昭典調教助手(提供:沢昭典助手)
(前回のつづき)
ユキンコ(牝4)が埼玉で元気でいることを、中央競馬時代に管理していた天間昭一調教師に伝えた。「気性は前向きで走る気はあったんですけどね。だけどそれが最後まで持たないんですよね…」。競走馬としての能力的なものが、どうやら少し足りなかったようだ。
つばさ乗馬苑に来た当初、代表の土谷麻紀さんが餌を飼い葉桶に入れようと馬栓棒をくぐった瞬間に背中をガブッとやられたこと、スタッフのHさんがお腹をいきなり噛みつかれ、見事に歯形がついたことを話すと「気性的にそういうところがあったから。それに白毛の馬は、放牧地で他の子たちにいじめられたりするみたいだしね」と納得顔になった。
繋養先のつばさ乗馬苑のスタッフに向けて「噛まれないように気をつけてください(笑)と伝えてください」と天間師は笑顔を浮かべた。
天間厩舎で持ち乗りの調教助手をしている沢昭典調教助手は、担当馬だったユキンコの写真をたくさん持っていた。とにかくユキンコが入厩した当初から、自らたくさん撮影したし、ファンの方はじめ、多くの人から沢助手宛に写真が送られてきた。自らツイッターでユキンコ情報を発信もして、フォロワーがいまだ2000人以上いる。
「しょっちゅう喧嘩しながら付き合っていましたけど、噛みつかれたことはなかったなあ」と沢助手。「沢さん、優しかったからね」と続けたのは、隣で話を聞いていた谷中公一調教助手だ。
「元々うるさいところのあった馬だし、道営でも結構レースを使ってきているから、それもあって噛みついたりしたんじゃないかなあ」と谷中助手は、ユキンコの変化について分析した。
スマホにたくさん収められているユキンコの画像は、どれも愛らしい。
▲(提供:沢昭典助手)
▲(提供:沢昭典助手)
▲(提供:沢昭典助手)
▲(提供:沢昭典助手)
「さすがに競馬の時にはつけていかなかったですけど、ピンクのリボンを頭につけてみたりね(笑)」(沢助手)
白い馬体にピンク色はよく似合う。レース当日も、頭絡、手綱をピンクで統一。前肢のバンテージも、白地にピンクの横線が入っている。蹴る恐れのある馬の尻尾につける赤い印は、赤字に白い水玉のリボンと、可愛らしい演出がなされていた。
デビュー戦前には、沢助手自身がどんな姿でユキンコの横を歩こうかと考えに考えて、その結果が上下黒に白の蝶ネクタイといういで立ちになったそうだ。
▲(提供:沢昭典助手)
▲(提供:沢昭典助手)
一方、つばさ乗馬苑でも、ユキンコの無口はピンク色だった。「たまたまウチにあったんです」(土谷さん)とのことだが、これがまたよく似合っている。まるでユキンコがここに来ることが予測されていたかのようだ。
けれども当初は、そのピンクの無口を付けたはいいが、いざ放牧のために外に出そうとすると「絶対出ない」と前肢を踏ん張り、頭を上げて反抗をした。
「その時は他の馬たちが出た後に、追いムチで追って何とか馬場に出しましたけど、おやつや餌で釣りながら、人の後をついてくるように教え込みました。それで何とかかんとかついて来るようにはなったのですけど、いざ馬場に放牧すると、集団の中でどうしていいのかわからなかったみたいで、馬場に面した馬房のそばの柵のあたりに1頭でいたんです。
▲ユキンコ、緊張の初放牧(撮影:土谷麻紀さん)
するとアニー(牝20歳・中間種)が『この子、私が面倒見なくちゃダメだわ』と思ったみたいで、ユキンコの近くにヒョコヒョコ歩いてきたんです。ユキンコはアニーに耳を伏せて、いきなりお尻を向けてピョンと跳ねました(笑)」(土谷さん)
けれども20歳の栗毛のベテラン牝馬アニーは、ユキンコの挑発には乗らず「ふーん、そうなんだー」という表情を浮かべると、クルンとお尻を向けた。そしてユキンコの倍くらいの高さでお尻を跳ね上げて見せたのだった。
「『私、あんたより強いから』みたいな感じで、自分が上だということをユキンコにわからせていました(笑)」
▲ユキンコ(左)と教育係のアニー(右)
ユキンコは驚いて後ろに退いたが、アニーはそこに詰め寄って行き「あんたね、挨拶の仕方を知らないのよ」という感じでユキンコの匂いを嗅ぎ始めた。
「ユキンコは耳を伏せて歯をむいて、カッカッカッカッカッと細かく噛みつくような仕草をしたんですけど、『ちょっと、あんた匂いを嗅ぎなさいよー』と、今度は肩と背中のあたりをユキンコの鼻にガンと持ってきたんです。
ユキンコも興味はあるから一応匂いを嗅いだりしていたら『そうそう、そうやって大人しくして嗅がせるの』としたり顔で教えていました(笑)。他の馬が一緒に遊ぶ? と誘いに来たら『ちょっと待ってなさいよ。私が教育しているんだから。あんた達には後で紹介するから』とアニーは追い払っていました(笑)」(土谷さん)
アニーは自らユキンコの教育係となり、まず匂いを嗅ぎ合って挨拶をすることをマスターさせると、今度はわざと馬場に放たれているたくさんの馬の間を割って入って、そこをゆうゆうと通り抜け、ユキンコを残して向こう側に歩いて行った。
「ユキンコは、『あっ、行っちゃった。しかもあの間を通って…』みたいな感じで立っていたんですよ。すると他の馬たちがユキンコのそばに寄ってきて、匂いを嗅ぎ合っているうちに、スッと放牧の仲間に溶け込んじゃったんです。それと同時に、突然噛みついてくるような攻撃性が薄れてきたんですよね」(土谷さん)
▲放牧中に仲間と戯れるようになったユキンコ(撮影:土谷麻紀さん)
せっかくなので馬房にいる教育係アニーの写真を撮影しようとしたのだが「私はいいのよ、別に」とプイッと顔をそむける。と思ったら、またすぐに顔を出す。慌ててシャッターを切るとまた顔をそむける。この繰り返しとなった。
馬場では落ち葉に夢中のユキンコが、なかなか頭を上げてくれずに苦労したが、ここでもうまく撮影できない。馬は時として、わざと人間の期待を裏切る行動をするものだ。そのちょっとした意地悪を楽しんでいるかのように。でもそこがまた面白く、魅力でもある。
つばさ乗馬苑ではわりとすんなり仲間に馴染んだユキンコだが、白毛はやはり芦毛とは違う。反射するような白さのせいか、トレセンではユキンコに驚いて暴れる馬が多数いたという。
「厩舎周りで運動している時も、他の厩舎の馬が暴れましたし、調教を終えて地下馬道を戻っている途中で、ユキンコに驚いた馬が暴れて落馬した人もいましたよ」と沢助手。幸い人馬とも無事だったようだが、白毛の白は馬にとっては、見慣れない色なのだろう。
これからは御神馬としての調教を徐々に進めていくことになる。毎年2月19日に行われる上岡馬頭観音のお祭りでは、馬たちの周りに人がたくさん寄ってきて、馬のお尻や体を触る人もいるようだと、沢助手や谷中助手に伝えると「それは難しいかもしれないなあ」と、2人は苦笑い。「でも年を重ねて大人になってくればね。大丈夫かもしれないね」(谷中助手)と、希望的観測も飛び出した。
▲可愛らしい表情のユキンコ(撮影:土谷麻紀さん)
▲ニヤリ!ちょっと意地悪っぽい顔をするユキンコ(撮影:土谷麻紀さん)
そうそう、まだユキンコは4歳のうら若きお嬢さんだ。幸い、ものわかりは良いとのことだし、お腹を噛みつかれて手痛い洗礼を受けたHさんからは「だいぶ丸くなってきましたよ」という証言もある。少しずつでも大人の女性に変わっていければ、御神馬の役目を果たすことができるはず。
アニー先生は残念ながら馬頭観音祭には参加していないので、御神馬教育はできなさそうだが、どうか淑女に成長できるよう見守ってほしいものだ。
こうして新たな馬生を歩き始めたばかりのユキンコに、「是非、会いに行きますよ」と沢助手は力強く言った。「沢さん」という言葉に、瞬間的に反応していたユキンコにとって沢さんは、恋人というよりもお父さんのような存在なのかな。子供はいずれ親元から巣立つ。けれどもいつも、心は繋がっている。沢さんとユキンコも、親子のような絆で結ばれている。そんな気がした。
(了)
つばさ乗馬苑
埼玉県日高市大谷沢681-1
電話 042-984-3410
佐々木祥恵
北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。