2004年11月30日(火) 19:43
今年のジャパンCデーをひと言で総括するならば、JRAのキャッチコピーさながらに、「驚きのJCデー」であった。
サプライズその1は、観客の多さである。東京競馬場はいまだ改装工事中で、キャパそのものが狭められているとは言え、こんなに混雑した競馬場は久しぶりであった。スタンド上階から見ると、エプロンが人の頭で埋まっているばかりでなく、内馬場も人垣でびっしり。かつての競馬ブームの頃を思い出させる光景に、思わず鳥肌が立った。
暖かな秋日和に恵まれたこともあったが、JRAとしては史上初の、同日にG1を2つ。しかもメインのジャパンCは大混戦模様で、どこからでも馬券の買えそうなメンバーだったことが大きかったのではないか。良いカードを用意できれば、まだまだお客さんは競馬に目を向けてくれるのである。
実は、公開調教の行われた木曜日あたりまでは、「ゴールデンジュビリーデー」に対する世間の熱気というものがもう1つ感じられず、せっかくの記念のイベントがマスターベーションに終わってしまう危険性すら心配していたのだが、そこからの追い込みが凄かった。スポーツ紙各紙が、こぞって一面でジャパンCを紹介。金曜日にプラザエクウスで行われたイベントは、エクウス史上最大の入場人員を記録するなど、日曜日に向けての弾みのつき方もまた、競馬ブーム全盛時を彷彿とさせるものがあった。
こうして迎えた当日。実は私、当日のゲストが小川直也氏で、イベントの目玉が「皆んなでハッスル」だと聞いたとき、『これでいいのか』と思ったのが正直な感想だった。競馬とどこが結びつくのか、競馬ファンはこれで喜べるのか、極めて懐疑的だったのである。だが結論から言うと、これは盛り上がった。
出走馬が既に馬場に出ている段階で沸き起こった大合唱には眉をひそめる人もおられただろうが、10万人のハッスルはやはり凄い迫力だった。小川氏のマイクパフォーマンスが実に練れていたこともあるのだが、この光景を予測してこのゲストを仕込んだとしたら、着想した人の勝利である。そんな意味も含めて、場内の雰囲気は"Pleasant surprise!!"であった。
サプライズその2は、JCダートにおけるアドマイヤドンの敗戦だ。JBCクラシックでは影をも踏ませなかったタイムパラドックスにあそこまで決定的な差を付けられての敗戦には、未だに自分自身を納得させ得る明確な理由を見つけ出せていない。
サプライズその3は、ジャパンCにおけるポリシーメイカーの好走である。格で言えばG1では明らかに足りず、欧州から外に出たことが無いばかりか、自国フランスの外に出たこともない。父サドラーズウェルズで、良績は道悪に集中。追い切りで見た走法も、前腕を高く上げて大きく駆き込むラウンドアクション。
ジャパンCに関して言えば第一回から取材をし、傾向についてはかなりのところまで分析できたつもりでいたのだが、ことこの馬に関しては好走できる要素が微塵も感じられなかったのである。それが直線で一度は先頭に立ち、あわやという場面を目の当たりにした時には、頭の上から冷水を浴びせられたような思いがしたものだ。
もとより私は名人でも達人でもないが、彦六師匠の名言を拝借させていただければ、「もう一度、勉強し直して参ります」というのが、ただいま現在の偽らざる気持ちである。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。