笠松・生産地会談

2005年01月18日(火) 20:21

 それは一枚のFAXから始まった。1月15日、私あてに笠松競馬場のとある調教師から、同日付けの「中日新聞」に掲載された「笠松競馬・生産者と公益法人構想」と題する記事が送られてきた。それによれば「存続目指し地元町長ら北海道へ」というサブタイトルとともに、「笠松・岐南両町長らが北海道の競走馬生産者らと公益法人の設立を目指していることが分かった。両町長らが16日に北海道を訪れて具体的な話を詰める」とあった。

 以下、「公益法人は生産者関係者と笠松・岐南町などで設立し、(岐阜県地方競馬)組合から競馬事業を受託し運営に当たる。北海道の生産者らは経営参画に前向き」と続き、「笠松競馬が財政難から新年度予算(平成17年度)が編成できない状況のため話し合いは予算の肩代わりや、組合の所有する場外馬券発売所『シアター恵那』の買い取りなどにも及ぶとみられる」などと記されていた。

 この記事を送ってきたA調教師はすぐ携帯電話で「読みましたか?」と私に連絡をしてきて「明日、北海道へ行くのでよろしく」と電話を切った。「生産者と公益法人構想」とは驚いたものの、今年1月1日より競馬法が改正されたことで、あるいは水面下でこんな計画が進行しているのかとも考えた。この記事は他に「16日の協議内容が19日に開かれる『笠松競馬対策委員会』の討議に影響を与えることは必至だ」とも書いてあり、16日の北海道での協議に寄せる期待の大きさの滲み出た記事との印象を受けた。

 同記事には岐阜側の関係者と協議する北海道側のメンバーとして「三石町の競走馬生産者・中村和夫さんや日本軽種馬協会の関係者、道議ら約20人」とあったので、翌16日朝、思い切って私は地元選出の藤沢澄雄道議に電話をかけ、協議の行われる会場と時間、及び「一介の生産者」でしかない私でも参加できるのかどうかについて問い合わせた。すると「参加は可能」との返事が同氏より返ってきたため、急遽私も協議に出席させてもらうことになった。

 16日午後6時。静内町ウエリントンホテル。9階の会議室に集まったのは全部で20数名。岐阜側からは、笠松・岐南両町長。A調教師夫妻。岐阜県議のB氏。岐阜県地方競馬組合の関係者C氏。計6名。一方の北海道側は、私と藤沢澄雄道議の他、日高各町の首長が4名。中村和夫氏その他の牧場主や日高軽種馬農協組合長・荒木正博氏など計13名。岐阜側は地元の中日新聞記者まで帯同してくる念の入れようだった。

 協議の冒頭、藤沢道議が「笠松競馬存続への道を模索する岐阜の関係者の皆様が非公式に静内を訪れてくれた。この場はあくまで非公式な席であり、それを踏まえた上で、忌憚のない意見交換をしていただきたい」と卓を囲んだ参加者に向かい開会の挨拶を行った。

 簡単な自己紹介の後、まず岐阜側から「笠松競馬の概況等」と題する資料が配布され、組合の関係者C氏がその内容を簡単に紹介、説明した。C氏は資料説明の後、笠松競馬が新年度予算を立てる上で資金不足となるため、北海道側に資金提供をして欲しい、と切り出した。資金提供の代わりに「シアター恵那」を譲渡する用意もあり、この施設は笠松競馬のみならず将来的には中央競馬の場外施設としても利用し得る有良物件である、とも補足した。

 非公式の席ということもあり、C氏の説明を受けた後は出席した北海道側の出席者からさまざまな質問が噴出した。笠松競馬存続を願う気持ちは出席者に等しくあった認識だが、北海道側は「こちらに資金提供を申し込む前にあなたたちの方でしなければならないことがたくさんあるのではないか」との根本的な疑念があり、「まずはそちら(岐阜側)から、競馬運営に関する徹底的な改善策を提示してもらわなければ北海道側からの資金提供はここでは約束できない」との意見が大勢を占めた(と私は考えている)。

 笠松・岐南両町長にも「岐阜県が笠松競馬の構成団体から抜けたとしても両町だけで競馬続行の覚悟がありますか」と質問が寄せられ、両町長が答弁に窮する場面もあった。あくまで非公式の場とはいえ、ここで軽はずみな発言をして言質を取られてはかなわない、との懸念もあったのだろう。「続けたい気持ちはある」といった程度の回答しか得られなかった。

 総じて、岐阜側には独善的な発想が目立ったと私は思っている。まず「県と笠松・岐南両町ともに、税金から競馬事業への赤字補填はできない」という点で一致している。ところが北海道側に対しては「笠松がなくなれば馬産地が大きな影響を受けることが必至で、馬産地にとっても笠松存続は大きな懸案事項のはずだ」と、あたかも笠松を存続させる目的は馬産地のためであると言わんばかりの論理だった。だから「資金を提供して欲しい」と言うのである。自分たちは税金を投入するつもりもないのになぜ馬産地が笠松存続のために言われるがまま資金提供に応じなければならないのか、との反発を感じた出席者は他にもいたはずだ。

 途中より、協議は雑談風になってしまい、明快な結論を出せぬまま、「まずは岐阜側から徹底的な民間発想を取り入れた改革案を提示して欲しい。その内容如何では馬産地としてもできるだけの協力はする用意がある」といった、甚だあいまいな結論で閉幕させるよりなかった。日高の各町の首長たちも、議会も通さずその非公式な場で資金拠出など約束できるわけもなく、15日付け中日新聞に報じられたような「公益法人設立構想」ための具体的な話し合いなどにはついに至らなかった。

 ところが、である。17日の朝、中日新聞と岐阜新聞の双方に、この16日の「非公式協議」の内容が早くも掲載されてしまった。しかも、揃って私が協議に出席して見聞きした内容と著しく異なる記事に化けていることに愕然とした。

 両紙とも「北海道側から岐阜側に対し、改革案を提示する」ことを約束したとの内容に書き換えられてしまっているのだ。あるいは私の知らぬところで個人的に誰かがこう言ったのかも知れない、とは思うが、少なくともこれは全体で最終確認した結論ではない。むしろ「何らかの援助や協力は惜しまないものの、まずは岐阜側から改革する姿勢を見せてもらわなければ」との空気が支配的だったはずだ。中日新聞は「日高軽種馬農協の荒木正博組合長は『真剣に取り組んでくれれば協力する』、藤沢澄雄道議は『北海道は(笠松を)後ろ盾する気持ちはある』と述べ、改革案を提示することを約束した」と記述する。しかし、私が聞いた限り両人はこの協議の場では決してそんな約束などしていない。

 穿った見方かもしれないが、笠松では存廃問題を論議する「笠松競馬対策委員会」が19日に開催予定と聞く。その場に少しでも存続へ向けて明るい材料を作りたいとの焦燥感から、誰かがこの記事を書かせたもだろうと感じるのだが、いかがなものだろう。しかも冒頭、藤沢道議が「この場はあくまで非公式な協議」と明言したにもかかわらず、翌日の朝刊に早々と記事が掲載されているという手際の良さ。それも取材に同行していなかった岐阜新聞までが電話で談話を取り、正確とは言いがたい内容の記事を書いている(例えば同紙には、笠松の現状を縷々説明したのが両町長だと書いているが、前述した通り、この説明役は別人である。両町長の発言はほとんどなかった)。

 北海道側の出席者の1人がこんなことを言っていた。「笠松を助けると、残りのすべての地方競馬主催者がみんな『うちにも何とか援助してくれ』と言ってくるんじゃないか」もちろん、そうなる可能性も高い。

 何より、まず基本的に私などは「地元の県や町が、競馬存続への熱意も、金を出す意思もないのに、なぜ遠い北海道の自治体や生産者団体などが金を出さなければならないのか」という不信感を払拭できなかったこと、そして、もしかしたら岐阜の人々は、ライブドア社に対しても、今回の静内での協議のような切り出し方で資金提供を要求し、体よく断られたのではないのかとも感じたことを記してひとまずこの稿を結びたい。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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