週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2005年01月25日(火) 11:09

 2004年に、それまでのサンダウン競馬場からエプソム競馬場に施行場所を移したG2テンプルSが、わずか1年で逆戻りし、2005年は再びサンダウン競馬場で行われることが発表された。

 テンプルSは、直線コースを使って行われる距離5ハロンのスプリント戦だが、エプソムの5ハロンコースは、スタートから残り1ハロンまでのおよそ800mが下り坂。「ここでテンプルSをやったら凄いタイムが出るぞ」、と思いついた人がいて、サンダウンとエプソムはともにレースコース・ホールディング・トラスト社が所有する競馬場であったことから、移行案が急浮上。BHBもこれに賛同して、04年のテンプルSは6月4日のオークスデーにエプソムで行われることになったのだ。

 ところが、これに猛反発したのが、トレーナーたちだった。下り坂で行われる5ハロン戦など、故障が怖くてトップスプリンターは走らせられないと、反旗を翻したのである。実際に、04年のテンプルSは極めて低水準のレースとなった。

 主催者側にとってツキが無かったのは、04年のオークスデーがスタート補助員のストライキの標的になったこと。スターティングゲートが使用出来ず、バリアスタートになったのだが、不慣れなためか、2番人気に推されていたフォーエヴァーフェニックスが真後ろを向いていた時にバリアが上がり、結局フォーエヴァーフェニックスは発走除外。そうでなくても低レベルだったメンバーが、更に弱体化してしまった。

 レースは結局、ここが重賞初挑戦だったナイトプロテクターという馬が優勝したのだが、レースレートは96.25。G2の格付けをもらう基準値の110を大きく下回ったばかりが、重賞を名乗ることすら恥ずかしくなるようなレースレートになってしまったのである。

 これを見て慌てたのが、レースコース・ホールディング・トラスト社だ。重賞の格付けは、2年続けて基準値に満たないと見直しの対象となるが、もしテンプルSが今年もエプソムで行われれば、トレーナーたちのサポートが得られないのは確実。よい馬が集まらなければ高いレースレートは望むべくもなく、そうなるとテンプルSはG3降格か、まかり間違うと準重賞に落とされる危険すら出てきたのである。

 そこで、レースコース・ホールディング・トラスト社はテンプルSをサンダウンに戻すことを決定。05年は5月31日に行われることになった。

 イヴニング開催として行われる5月31日のサンダウンでは、エクリプスSの前哨戦G3ブリガディアジェラードSも行われる予定で、イヴニング開催としては英国でも最高のカードが整うことになった。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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