2017年09月05日(火) 18:00
▲ピンクのクローバーを探す渡辺はるみさんとウラカワミユキ 写真提供:(有)渡辺牧場
ウラカワミユキは、引退馬協会のフォスターホースとして多くの会員さんに見守られながら、渡辺牧場での日々を過ごしてきた。30歳を超えて、年齢なりのトラブルはあるものの、高齢のわりには良好な健康状態を維持。天候さえ問題なければ、毎日のように放牧地を歩き回り、四季折々の風や匂いを感じながら、のどかにミユキの時間は流れた。
繁殖を引退して渡辺牧場に仲間入りしたコーセイが、ミユキの無二の親友となり、心の支えとなった。2頭は常に一緒に放牧地に放たれ、お互いの存在を常に感じ、意識しながら、おのおの自由な時間を楽しんだ。ミユキはコーセイよりも3歳年上だったが、優しく控えめなコーセイを頼りにもしていた。前々回にも記したが、コーセイが治療等のため少しでも放牧地を離れると、鳴いて大騒ぎになるほどだった。
頼りにしていた親友コーセイを天国に見送ったのは、2014年6月15日のこと。はるみさんは、ミユキが寂しさのあまり死んでしまうのではないかと心配していた。だがコーセイを呼ぶかのように少しいななくことはあっても、ミユキは思いのほか穏やかだった。「ミユキは、コーセイが天国に行ったことをわかっている」はるみさんはそう理解するようになっていた。コーセイは肉体を失ってもいつもミユキの傍らにおり、ミユキもその存在を感じているのではないか。はるみさんの話を聞きながら、そんなことを想像したりしていた。
そしてミユキには、新しい相棒ができた。警視庁騎馬隊で任務をこなし、除隊後に渡辺牧場で余生を過ごしている春風ヒューマ(競走馬名トウショウヒューマ)だ。実は2013年末から2014年3月半ばまで、ミユキ、コーセイとともに春風ヒューマが一緒に放牧されていた時期がある。当初は動きが鈍かった春風だったが、徐々に覇気を取り戻し、コーセイに迫って自分をアピールするほど元気になっていた。
牧場側は脚が悪いコーセイに配慮し、元気な春風を別の放牧地へと移した。しかしコーセイ亡きあとにミユキを1頭で放牧させたくはなかったし、かつて放牧地のボスとして君臨してきたミユキより気の強い牝馬を一緒にはできないため、以前の放牧仲間である春風に白羽の矢が立ち、およそ3か月ぶりに2頭は同じ放牧地に放たれた。この頃の春風はさらに元気度が増し、放牧地を溌剌と走り回るようにもなっており、ミユキがそれに巻き込まれて怪我をする心配もあった。
だがタイミング良くミユキに発情の気配があり、春風はミユキにアプローチをしてきた。春風のアプローチにミユキも悪い気はしなかったようで、2頭は落ち着いた様子で寄り添って青草を食べていたという。コーセイがいない寂しさを春風という存在が紛らわせてくれたことは、ミユキにとっては幸運だった。
私が取材に訪れた2014年初秋、2頭は放牧地にいたが、それぞれが思い思いの場所で草を食んでいた。決して仲が悪いというわけではなく、心のよりどころとしてきたコーセイとはまた違った形の関係を築いているように映った。
また前々回にも書いた通り、ミユキの馬体は33歳には見えないほど張りがあった。現役競走馬の研究はJRAでも熱心になされているようだが、高齢馬の飼養管理についてはまだ立ち遅れていると言って良いだろう。
角居勝彦調教師が進める活動が契機となり、ここにきて引退馬のセカンドキャリア、サードキャリアがクローズアップされ、競走馬を退いた後の余生について今ほど注目されている時代はなく、それにともなってミユキのように高齢まで生きる馬たちが増えていくと予測される。それだけにますます高齢馬の飼養管理は重要度を増し、現役競走馬同様に研究がなされていく必要があると思う。
そんな折、高齢馬の飼養管理についてある獣医師に指導を受けたはるみさんは、それを実践するようになった。その結果として、前年は馬体がガレ気味だった馬体がフックラとし、張りも出て若々しくなったのだった。高齢馬を管理する渡辺牧場にとっては、大きな学びでもあった。
ミユキはなおも年を重ね、2017年を迎えた。6月2日には満36歳になる。ミユキの健康状態は高齢馬としては依然として良好で、ミユキなら40歳近くまで生きてしまうのではないかとさえ思っていた。
▲誕生日の4日前にあたる5月29日の様子 写真提供:(有)渡辺牧場
だが誕生日を目前に控えた6月1日の午前4時頃。ミユキに疝痛の症状が現れた。便秘による疝痛の可能性があり、5時半頃に獣医師が痛み止めの注射を打ち、詰まっていたであろうボロを掻き出した。お腹の痛みは右側だったため、左側を下にしてミユキは馬房に横たわっていた。元気だったとはいえ、年齢的にも足腰も弱ってきていたのだろう。右側を下にして寝ないとうまく起き上がれなくなっていたが、それにもかかわらず、左側を下にしていたということは、右側の腹部が相当痛んでいたのかもしれなかった。
立ち上がりやすいよう、人間の手で向きを変えたところ、自力で起き上がって排尿をする。だがホッとしたのも束の間、再び左側を下にして馬房に横たわってしまった。
ミユキのお腹の痛みが収まらなかったため、11時半頃、再度獣医師が診察。腸の動きが鈍ったため、補液や痛み止めに加え、腸の動きを良くする薬も投与された。ちょうどその場にいた会員や引退馬協会スタッフも手伝い、寝ている向きを交互に変えたり、マッサージをするなど、ミユキのために皆が手を尽くした。ミユキ自身もそれに応えるかのように、詰まったボロを出そうといきむものの、思うように排泄できないでいた。
それでもミユキは力を振り絞って、18時頃に立ち上がった。排便を促すために早速引き運動を行ったが、ボロはほんの少量しか出ない。さらには心拍数も上がってきて苦しそうになってきたので、馬房へと戻した。
3度目の診察で盲腸のあたりに詰まりがあるとの診断だったが、若馬にならできる治療も高齢馬には難しく、補液と痛み止めの注射が施された。立っているのが辛くなってきたミユキは、左側を下にしてまた馬房に横たわった。
23時頃、なかなか症状の改善が見られず、さらに痛みが強くなってきた。これ以上苦しまないようにとの判断がなされ、安楽死の措置が取られることとなった。獣医師により麻酔剤が投与され、ミユキは深い眠りに入った。息を引き取ったのは6月2日0時8分。満36歳の誕生日を迎えて間もなくのことだった。
■ウラカワミユキ 生涯最後の動画
亡くなる要因が疝痛だったとはいえ、36歳まで健康に過ごしてきたミユキは、本当に大往生だった。けれどもはるみさんは「ミユキの生涯の最後の1日を苦しませてしまった」ととても悔いていた。疝痛は特に痛みが長引く傾向にあり、馬も苦しく辛い時間を耐えなければならない。
長い馬生最後の1日が、痛みとの闘いとなったミユキ。高齢だけに余計に辛い思いをさせてしまった。長年ミユキと付き合ってきたはるみさんだけに、電話口からその悔しさが十分過ぎるほど伝わってきた。と同時に「自分を責めないでください」という気持ちが湧いてきたが、真剣に馬と向き合ってきたはるみさんだからこその後悔なのだろうと察し、その言葉を口にするのはこらえた。
▲天国へ旅立った後、馬房はたくさんの花で埋め尽くされた 写真提供:(有)渡辺牧場
そしてミユキ亡きあと、渡辺牧場には新しい動きがあった。ミユキが最後に出産した娘ゲッケイジュ(牝16)が繁殖生活を終えて渡辺牧場に戻ってきていたが、その将来を気にかけていた人が、出来得る限りの支援を申し出たのだ。
▲ウラカワミユキの最後の仔・ゲッケイジュ 写真提供:(有)渡辺牧場
必要預託料を満たすためにさらに支援者を募るとあっという間に目標額に達し、ゲッケイジュはこの先もずっと生まれ故郷の渡辺牧場で余生を送り続けられることが決まった。ゲッケイジュに支援の手が差し伸べられたのは、ゲッケイジュ自身の魅力もあるのだろうが、母ウラカワミユキという存在も大きいように思う。
電話取材からほどなくして、はるみさんからメールが届いた。
「平成13年に牧場の危機があり、フォスターホースとしてナイスネイチャとセントミサイルをお願いしたいと沼田さんに伝えた時に『ウラカワミユキもいいですよ』と仰って頂いたことで、生きる道が開かれ、たくさんの会員さんに支えられ、愛して頂いた長い年月がありました。
ミユキは訪問される会員さんにいつも人参を食べさせて頂きましたし、逢いに来られない遠くの方々から、いつも温かく見守って頂きました。ミユキは本当にたくさんの心優しい人たちと関わりを持ってきました。ミユキの馬生はとても濃いものだったと思います」
そこにはフォスターホースとして受け入れてくれた引退馬協会、そしてミユキやミユキを支えてくれた会員の方々、全国にいるであろうミユキを応援してくれる人々への感謝の気持ちが綴られていた。
このメールを読み終え、ウラカワミユキという1頭の牝馬が、たくさんの人々に癒しや生きがいを与えてきた馬だったことを改めて実感した。今は天国からコーセイとともに、息子ナイスネイチャ(セン29)や娘ゲッケイジュをはじめ、渡辺牧場全体を温かく見守ってくれているはずだ。
▲ミユキも天国から渡辺牧場全体を見守っていてくれているはず―― 写真提供:(有)渡辺牧場
有限会社渡辺牧場
浦河郡浦河町絵笛497-5
・年間見学可能(団体の見学は不可)
・見学時間 9:30〜11:30、13:30〜16:00
・直接訪問可能
※詳細は最寄りのふるさと案内所まで
渡辺牧場HP
※1993年のクリスタルC優勝のセントミサイル(セン27)1993年のクイーンC含め重賞3勝のマザートウショウ(牝27)も見学できます。
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佐々木祥恵
北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。
プロフィール
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