週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2005年03月29日(火) 13:13 0

 世界13ヶ国から出走馬が集まったドバイWC開催。単騎挑戦したアジュディミツオーのおかげで、わが国も競馬のワールド・エキスポの「蚊帳の外」とならずに済んだが、そのアジュディミツオーは日本代表として恥ずかしくないパフォーマンスを見せてくれたと思う。

 まず第1に、先行するという自分の競馬をすることが出来たこと。第2に、6着という日本馬にとって指定席となりつつある着順を、公営調教馬としては初めての参戦で確保できたこと。この2点によって、充分に評価の出来る結果であったと判断したいと思う。

 向上心を持ち、何でも吸収しようという姿勢に溢れていたアジュディミツオー陣営だけに、収穫も多かったはずで、ぜひまた次のチャレンジを目指していただきたいと思う。

 ドバイWCに関して言えば、勝ったロージズインメイには付け入る隙が全くなかった。前回のコラムで書いたように「行こうとすれば行ける」馬が数頭いたのだが、彼らがこぞって先陣争いを繰り広げたため、レースは前半から厳しい流れとなった。事実、2着馬、3着馬は、いずれも後方集団から猛然と追い込んできた馬たちという、これまでのドバイWCではほとんど見られなかった戦術による成功例で、つまりは先に行ったロージズインメイにとっては歓迎しかねる展開だったのだ。これを、最終コーナー手前から自力で勝負に出て、直線では他馬を更に突き放したのだから、あきれるほどの強さである。BCクラシックではこの馬の更に3馬身前にゴーストザッパーがいたわけで、そう考えるとアメリカのこの路線はやはりどうしようもなく強く、「手出し無用」が得策というのが正直な感想であった。

 メインのドバイWCだけでなく、ダートのレースはいずれも、勝ち馬を含めた上位陣のパフォーマンスは強烈で、日本の在野を見渡しても「この馬なら確実に勝負になる」という決定的な駒は見当たらず、そういう意味では“見”したのは賢明な策だったかもしれない。

 その一方で、くみしやすしの印象を持ったのが芝のレースで、フェニックスリーチが圧勝したシーマクラシックも、アメリカ馬ウィリーが2着に来たデューティーフリーも、日本代表として送り込めそうな候補は5指に余るほどいるように思う。ドバイワールドC開催に関して言えば、ステータスの面でメインのワールドCが突出していて、アンダーカードを勝つことにどれだけの意義があるのかという根本的な問題はあると思うが、来年はぜひ芝のレースに複数の日本馬が挑むことを望みたいと思う。

 今年のカードで言えば、最大のサプライズはUAEダービーのブルースアンドロイヤルズだったろう。ドバイのダートは芝馬でもこなせると言われつつ、ゴドルフィンマイルにおける欧州のトップマイラーたちや、UAEダービーにおける昨年の欧州2歳チャンピオンらが全く競馬にならなかったのを見ると、そう一筋縄でいくものではないことはよくわかる。そんな中、2歳時は欧州で芝のレースを3戦したのみ、ここが初ダートだったブルースアンドロイヤルズによるぶっちぎり勝ちは、ゴドルフィンにとっても嬉しい誤算であったことと思う。

 ブルースアンドロイヤルズは、03年のキーンランド・セプテンバーセールにおける購買馬。価格の40万ドルは、血統的価値からすると少しお高めのように感じられるが、馬の出来がよかったのだろう。いとこに、日本で走り京王杯2歳S・3着、シンザン記念4着などの成績を残したアイアムツヨシがいるという牝系である。アイアムツヨシの母アイアムザウィナーには、今年の2歳世代に父ボストンハーバーの牝馬、今年の1歳世代に父アグネスタキオンの牡馬がいるはずで、POG的にも注目の存在となるかもしれない。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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