2018年01月15日(月) 12:01 36
▲昨年12月28日、ラストライドのパドック(撮影:下野雄規)
年内で引退した平野優元騎手。今年から伊藤大士厩舎で、持ち乗り厩務員としての再スタートを切りました。「レースを体験していることは強味になると思います」という思いが実り、1月6日の中山第1Rを担当馬のコウギョウブライトが勝利。今年のJRA競走の第1戦目を制するという、幸先の良いスタートとなりました。2010年に名門・二ノ宮敬宇厩舎からデビューし、同期一番乗りで初勝利。2012年には落馬による内臓損傷の大ケガも経験。8年間の騎手生活を振り返ります。(取材:赤見千尋)
赤見 このたび、持ち乗り厩務員への転身を決断されたということで、デビュー当時のことからいろいろうかがっていきたいと思っているんですが、まずは騎手を目指したのはどういったきっかけで? 平野さん、背が高い(170cm)ですよね。(騎手を目指したのは)体が小さかったから…というのはよく聞きますが。
平野 僕も競馬学校を受験したときは158cmくらいだったんですよ。
赤見 あ、そうなんですね。
平野 はい。あとは地元が府中で、東京競馬場が近かったので、小学生のころから父に連れられてよく遊びに行ってたんです。そんな感じで、もともと競馬が身近だったんですが、中学2年のときに仲野光馬(なかの かづま)が転校してきて。
赤見 船橋の仲野光馬騎手ですね。
平野 そうです。彼は乗馬をやるために府中に引っ越してきたんですけど、「一緒にやってみない?」って誘われて。それが乗馬を始めたきっかけですね。
赤見 その後、平野さんだけJRAに受かって。複雑な気持ちだったのでは?
平野 そうですね。一緒に受かりたいという気持ちが強かったので。本当はそんなふうに思ったらいけないんでしょうけど、正直、「ゴメン」ていう気持ちがありました。でも、今は地方で頑張っていて、「いつか一緒に乗れたらいいね」って話していたんですけど、今回僕が辞めることになって、結局それも叶わずじまいで。
赤見 そうだったんですね。競馬学校時代は、けっこうご苦労があったそうですね。
平野 はい。普通の人より2年も多く在籍していましたからね(苦笑)。・・・
東奈緒美・赤見千尋
東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。
赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。