週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2005年05月03日(火) 13:10 1

 今年発足したばかりのアジア・マイル・チャレンジのファースト・レッグ、5月14日にシャティンで行われるチャンピオンズマイル(香港G1・芝1600m)に、とんでもないメンバーが集まりつつある。

 地元を代表するのは言うまでもなく、デビューからここまで17戦17勝の“モンスター”サイレントウィットネスだ。前走4月24日のクイーンズシルバージュビリーCで初めて1400mの距離に挑み、ここを無事に通過。陣営は更なる距離延長も問題なしと判断し、チャンピオンズマイル出走を言明した。3シーズンに渡って17戦も勝ち続けてきた偉大さを充分に讃えられながらも、同じような距離で同じような相手とばかり競馬をしてきたことを批難する声も一部にあったことも確かだったが、遂に『香港の英雄』は勇気をもって、新たな挑戦に立ち向かう時を迎えた。

 ここに挑むのが、日本において競馬の新たな時代を切り拓きつつある『革命児』コスモバルクだ。1600mの距離を走るのは、2歳9月以来。皐月賞、或いは、ジャパンCが彼にとってのこれまでのベストパフォーマンスだとしたら、距離不足の懸念もあるが、距離の長いレースのゆったりした流れで掛かり気味の競馬が続いているこの馬にとって、道中の流れが少しでも速くなるのはプラス要素である。ここを勝てばアジア・マイル・チャレンジの初代王者の座と100万ドルのボーナスに王手がかかるこの馬に、日本の主催者からいまだに安田記念への出走資格授与の発表がないのが気掛かり。そういう面でも、新時代の旗手による革命の成就を期待したい局面だ。

 話は少々横道にそれるが、我々日本人は、シナリオが悪い方向へと展開する場面も覚悟しておく必要があろう。改めて言うまでもないが、サイレントウィトネスは香港の英雄である。もしもこの馬の連勝が止まれば、観客の落胆は極めて大きいはずだ。それも、きれいな競馬で敗れるのならともかく、例えば、コスモバルクが引っ掛かって、サイレントウィットネスを潰しに行く形となり、挙句の果てに両馬共倒れ、などということになったら、コスモバルクは完全に悪者になる。と言うか、中国本土ほど反日感情は高くない香港ではあるが、そんなことになった日には、おそらく当日は5万人を超えるであろう地元ファンにとって、場内の日本人が反感を向ける対象となる。最悪のシナリオだが、香港ジョッキークラブには万全の警備を期待したいし、現地に出かける日本人は冷静かつ沈着な行動が求められることになるだろう。

 さて、サイレントウィットネス対コスモバルクだけでも、香港と日本のピープルズ・ホース同士の対決として、滅多に見られぬビッグマッチとなること確実だったのに、更にここへヨーロッパのピープルズ・ホースも加わることになったのだから、今年のチャンピオンズマイルはもはや歴史的一戦と言っても過言ではないことになった。

 ヨーロッパから参戦するのは、『脚曲がりの天才少女』アトラクション。最下級の市場にすら上場を拒まれたほど両前脚が曲がっていながら、デビューするやここまで12戦9勝。英愛1000ギニーに加えてロイヤスアスコットのコロネーションSも制している彼女は、間違いなく現代における欧州競馬のヒロインである。当然、ファンも多い。その彼女が、今季初戦として選択したのが、チャンピオンズマイルだったのだ。

 当初は、同じ日に英国のニューバリーで行われるマイルG1ロッキンジSが目標と言われていたのだが、脚が曲がっているにも関わらず、ソフトな馬場よりは固い馬場を好むアトラクション。この時季、降雨による馬場悪化が充分に考えられるロッキンジSよりは、シャティンのチャンピオンズマイルの方が適鞍と、陣営は判断したのである。

 サイレントウィットネスも、アトラクションも、チャンピオンズマイルを勝てば(あるいは負けても)、次走は安田記念になることが濃厚だ。そして安田記念には、一昨年のイタリア2000ギニー馬で、昨年もG1サセックスSで3着となるなどトップマイラーとしての成績を残しているルヴィーデコロリも参戦の意志を表明している。

 ホントになんだが、凄いことになりつつある。その凄いことの実現には、アジア・マイル・チャレンジの導入が大きく貢献していることは間違いなく、発案した方には心からの尊敬を、実現に携わった方々には心からの謝辞を、申し上げたいと思う。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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