週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2005年05月17日(火) 13:27 0

 アメリカで、ヨーロッパで、そしてアジアでと、様々なカテゴリーにおけるトップホース同士の激突が見られた先週末だったが、中でも特に印象的だったのが、ヨーロッパで行われたマイル戦だった。

 まず、14日(土曜日)に英国のニューバリーで行われた、欧州古馬マイルG1路線の開幕戦ロッキンジS。昨年秋に来日を果たして日本でもおなじみのラクティ(父ポリッシュプレスデント)が、2着に5馬身の差をつけ、トラックレコードでの快勝劇を演じた。来日した時にも盛んに取りざたされたが、気性的に難しいところがあって、本気を出す日と出さない日がはっきりとしている“気まぐれ”ラクティ君。この日は大得意としている固い馬場になり、しかもすんなりと先手をとれる御誂え向きの展開になって、終始上機嫌でのブッちぎりとなったようだ。

 この結果を見て忸怩たる思いにかられているのがアトラクションだろう。アトラクションも、道悪はからっ下手で固い馬場が大好き。過去の傾向からロッキンジSは道悪になることが多く、だからこそ固い馬場を目指して香港に遠征したアトラクション。こんなことなら地元に留まるべきだったと、今頃はほぞを噛んでいるはずだ。

 現地のマスコミはこの日のラクティの快走に、非常に高い評価を与えているが、果たしてこの勝利を額面通りに受け取っていいものか、と私は思う。というのも、ロッキンジSはかなり相手に恵まれた一戦だったからだ。最大の敵は昨年のBCマイル2着馬アントニアスパイアスだったが、これも“暴れん坊”の異名をとるように気性的な難しさを秘めた馬で、これがこの日はご機嫌斜めで最下位に沈んだとあっては、大した敵がいなかったも同然なのだ。

 今季はこのままマイル路線を歩むというラクティ。次走に予定されているロイヤルアスコットのG1クイーンアンSが、この馬が今季マイル路線の主役となれるかどうかの、試金石となりそうだ。

 続いて翌15日(日曜日)には、ドーバー海峡を渡ってパリのロンシャンで、フランス版の1000ギニーと2000ギニーが行われ、いずれもスターホースが勝利を収めて大きな盛り上がりを見せた。

 まず牝馬のプールデッセデプーリッシュ(仏1000ギニー)を制したのが、昨年の欧州2歳牝馬女王ディヴァインプロポーション(父キングマンボ)。これも5馬身差の圧勝で、デビュー以来の連勝を"7"に伸ばした。一連の競馬を見ていると、同世代の牝馬と戦っている間は、よほどのことがない限りこの馬が負ける場面は想像しづらい。

 興味深いのは、5月11日に締め切られたばかりの凱旋門賞の第1次登録で、この馬のエントリーが確認されたことだ。母の父がサドラーズウェルズであることもあって、陣営としては彼女を一介のマイラーとは考えていないことは明らか。取り敢えずは、次走がロイヤルアスコットのコロネーションS(8F)になるのか、フランスオークス(2100m)になるのか、陣営の決断を待ちたいと思う。

 ディヴァインプロポーションズの父キングマンボは、2週間前にヴァージニアウォーターズが英1000ギニーを制覇。しかも、この2頭の1000ギニー馬は、母の父もともにサドラーズウェルズである。改めて言うまでもなく、エルコンドルパサーもサドラーズウェルズ牝馬にキングマンボだから、この配合は現代における黄金のニックスと言えよう。

 一方、牡馬のプールデッセデプーラン(仏2000ギニー)を制したのは、これも昨年3戦無敗の成績で欧州2歳牡馬チャンピオンの称号を得たシャマーダル(父ジャイアンツコウズウェイ)。シェイク・モハメドの、まるで恋患いのようなケンタッキーダービーへの執着に動かされ、前走はダートのUAEダービーに出て大敗したが、心配された精神的ダメージもものかは。芝ならばこの世代のトップに君臨できる存在であることを、改めて見せ付ける結果となった。

 父ジャイアンツコウズウェイは、フットステップスインザサンドで英2000ギニーを制しているから、初年度産駒から英仏ギニー連覇の偉業を達成したことになる。

 シャマーダルの次走も目下は、ディヴァインプロポーションズ同様、ロイヤルアスコットのセントジェームズパレスS(8F)と、今年から距離が2100mに短縮された仏ダービーの、両睨みと言われている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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