2018年04月12日(木) 12:00 28
羽田から千歳に向かう機内でこれを書いている。前回札幌に行ったとき、杉花粉が飛散していない恩恵もあって、伊集院静氏の小説『イザベルに薔薇を』(双葉社)を、一気に読むことができた。タイトルと、主人公の「詩人美(しじみ)」という名から恋愛物をイメージしていたのだが、カテゴリー分けすると「ギャンブル小説」と言える作品だ。核になっているのは競馬と麻雀と競輪。旅に出て成長した詩人美が、ギャンブルで対決する相手と、そして己と向き合う姿がとても勇ましくていい。
詩人美が上京してきたばかりのひ弱な青年だったころ、叔父の無塁(むーる)と競馬場に行った。そのさいの「ビギナーズラック」に関するやり取りが興味深い。
無塁は詩人美に言った。
「ビギナーズラックと言うのは、ギャンブルを初めてやる人のところに、ギャンブルの神さまが幸運を与えてくれることです」
さらに無塁は、ギャンブルは恋愛と同じく、人間に必要なものだ、と説く。
人間は生まれついて恋愛をするようにできている。同様に、ギャンブルは丁と半などを選ぶようにできている。人生は選ぶことの繰り返しで、「選ぶ」ことは人間の本能のなかにあることだ。その選択で負けるほうばかりに進んでいたとしたら、人類はとっくに滅亡している。だから、ギャンブルでは、初めてした人が○(マル)を選ぶようにできている――というのだ。
なるほど、と思った。
人生の大先輩が、社会に出たばかりの若者に与える言葉というのは面白い。
その言葉が、手さぐりで前に進もうとしている彼らに道しるべとなる光を見せることもあるだろうし、逆もあるだろう。
私はずいぶん前に若者ではなくなったのだが、それでも、この時期「入社式」「社長」というキーワードで検索して、有名企業の経営者が新入社員にどんなことを言ったかを眺める――という、地味な趣味を持っている。
印象に残った言葉を抜き出してみたい。
一度立ち止まって自分を客観視し、目の前にあることに精一杯取り組みましょう――商船三井 池田潤一郎社長
「焦らず、慌てず、しかし、侮らず」、まずは着実に仕事の基礎を身につけて――新日鐵住金 進藤孝生社長
真のプロフェッショナルは、常に挑戦し、イノベーションや進化を起こしていく人です。勝つか負けるかはわずかな差――伊藤忠商事 鈴木善久社長
「専門知識の習得」だけでなく「人々と協調する力」を高め、信頼・尊敬されるプロフェッショナルに――三菱重工業 宮永俊一社長
どのような分野でも、人に負けない強みを持ったプロフェッショナルを目指して――IHI 満岡次郎社長
イチロー選手の言葉を紹介します。「壁というのは超えられる可能性がある人にしかやってこない」――清水建設 井上和幸社長
誰よりも前向き、周囲から前のめりと思われるぐらいの姿勢で物事に取り組んで――明治安田生命 根岸秋男社長
失敗の無いところに成長はありません。迷ったら前進――東京ガス 内田高史社長
読書を習慣づけることにより、自身の価値観を確立し、ぶれない判断のできる人間に――新明和工業 五十川龍之社長
積極的に経験を積んで「見識」を深め、「胆識」を身につけた実行力のある人間に――三井化学 淡輪敏社長
誰かを頼って一緒に乗り越えてください。そして、同期がつらいときには、あなたが支えて――電通 山本敏博社長
「自分の殻に閉じこもらず、積極的に外部との関わりを持つこと」にこだわって――三井E&Sホールディングス 田中孝雄社長
頭の中に『白紙の部分』を持ち、相手のことを『聞く力』を持って――阪急交通社 松田誠司社長
伝え方を意識しながら、ぜひ幅広い方々とコミュニケーションをとって――三機工業 長谷川勉社長
対話を心がけ、異なる価値観を自ら取り入れて、柔軟性に富む企業人となるよう―共同印刷 藤森康彰社長
一生懸命に伝える姿勢など、言語以外で自分の魅力を伝える非言語コミュニケーションも大切に――日本郵船 内藤忠顕社長
アンテナを高く張り、世の中の変化に興味を持って、対応することを意識して――ヤマトホールディングス 山内雅喜社長
変化に対応するのではなく、我われ自身が変化を起こし、社会の進歩を創造する側に――日本旅行 堀坂明弘社長
最初に形を学び、そして、それは何のためであるか、徹底的に考え――日本軽金属ホールディングス 岡本一郎社長
理想は何かを考え、本質を求めて自由な発想と行動力で、その実現に向けて挑戦しつづけて――マツダ 小飼雅道社長
夢を思いつづけていけばそれは必ず現実となる。そのことをいつまでも忘れないで――フジタ 奥村洋治社長
無塁が言うように、生きることと賭けること、つまり選ぶことが同じなら、これらの言葉は何かの岐路に立ったとき、いつかきっと役に立つ。
最後に、私が20代前半のころ大先輩に言われた言葉で、大きな力になったものを紹介したい。
「20代なのに人のふんどしで相撲をとれないやつはロクなもんじゃない」
電通の山本社長の言葉にも通じるが、人に頼ることは情けないことではなく、頼れる人がいることを誇るべきなのだ。
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。
関連サイト:島田明宏Web事務所