2005年06月28日(火) 18:53 0
北海道の6月は一年中でもっとも過ごしやすい季節だが、今年の場合、月の前半は寒気が入り、寒い日が多かった。ストーブのお世話になる日が続いて、真面目に「もう一度モモヒキを着用しようか」と考えた日さえあったくらいだ。それが中旬を過ぎたあたりから俄かに晴天の日が続くようになり、下旬には海岸からやや10キロほども内陸に入ったところでは気温が30度近くにまで急上昇する毎日となった。1ヶ月の間に、冬と夏とが同居するような気候で、体調もやや狂いがちである。
降水量が少なくしかも例年より寒い日の多かった今年の春の気候により、牧草の伸び具合は平年よりやや不良だったのだが、しかし好天が続くようになると、一斉にどこの牧場でも一番牧草の刈り取り作業を開始した。今年は6月13日に雷雨に襲われてから以降10日間ほど雨が降らず、その間に一気に収穫作業を片付けてしまった牧場も多い。
毎年のようにこの時期になると牧草収穫作業のことをここで書いているので、もう取り立てて新鮮な話題ではなくなってしまっているが、私たち生産者にとっては初夏の一大作業である。途中天気が大きく崩れることが多く、収穫期間もひどい年には延々1ヶ月以上にも及ぶことがある。牧草作業が終わらぬうちは精神的にも落ち着かない毎日が続く。
今年の場合、結果的には降雨のない日が10日間も続いたことになるが、期間途中にそれを予測するのは不可能だ。毎日の天気予報をしっかり見て、週間予報で大まかな天気の流れを把握する。そして、刈り取りをいつにするかを決断する。一度刈り取った牧草はその採草地一杯に広げて4日間かけ乾草にする。トラクターで反転と集草を繰り返し、4日目にロール状の完成品にして厩舎の二階や倉庫などに収納する。
4日間連続の晴天は望めなくとも、せめて3日あればかなり完成品に近い状態まで仕上がる。その後は1日や2日くらいならば雨に祟られても何とか品質を劣化させずに収穫することが可能だ。最初から好天が続くと分かっているのであればこんな楽なことはないが、途中天候が崩れることを計算に入れると、どうしても作業は無理のない程度に少しずつ進めることになる。
さて6月25日(土曜日)。この日で連続した晴天が終わり、日高地方は夕方から夜に雨が降り出すとの予報になっていた。それ以前も実は天気予報が目まぐるしく変わり、何度も雨が降ると言われながら結局10日間も降らずにいたのである。期間の初めは作業機の試運転も兼ねて小さな面積の採草地や品質の劣るところからのスタートになる。そしていよいよ主力の採草地に着手し始めたのが20日過ぎという牧場が多かったはずだ。
この日で一段落するはずであった。天気予報さえ外れなければ。私の牧場でも約1ヘクタールの面積の牧草を刈り取って3日目で、この日仕上がらなくとも十分に乾燥させた状態でひとまず採草地に積んでおくつもりでいた。ところが、夕方まで晴天のはずが、午前10時前より少しずつ曇ってきて、そのうちにポツポツと雨が降り始めたではないか。採草地一杯に広がった牧草をまず集め、ロールベーラーで巻くという本来午後に予定していた作業をさっそく始めなければならなくなった。
慌てたのは言うまでもない。1ヘクタールの面積は当然のことだが100m×100m。乾草のロール(1個は直径120cm高さ120cmの円柱状で重量約200kg)が30個ほどの分量になる。集草に30分、ロールに1時間30分ほどの所要時間である。もちろん乾草だから雨は大敵だ。大童で広げた牧草を集めるトラクターが一斉に走り回る事態となった。幸い隣人の手伝いもあり、何とか本格的な降り方になる前に作業を終えることができた。
それから雨または曇りの日が以降3日続き、まだあちこちの採草地に青いビニールシートに覆われた牧草の山が目に付く。全体的に一番牧草の収穫は進捗率が50%を超えた程度か。三石の斉藤スタッド代表、斉藤雅宣氏はネット上の日記に「三石の『蓬莱山祭り』用に毎年巨大しめ縄をかけるが、これをかけると天気が崩れるとのジンクスがある。今年もかけた途端に(25日から)天気がぐずつき出した」と記している。どこの地域でもこうしたジンクスはあるのだが、この「祭りの巨大しめ縄」というのは、何とも妙に神がかり的な響きを持つ。これは単にジンクスなのだろうか。もっと何か人知を超越した「神々の見えざる力」が働いて雨を降らせているのではないか、などと考えてしまった。
余談だが、この「蓬莱山祭り」は今週末に三石町で開催され、先頃札幌で開催された「よさこいソーラン(今や北海道だけにとどまらず日本各地より踊り子が参加する大イベントになっている)」にて、334チーム中、準大賞に輝いた地元三石の「三石なるこ会」が出場する予定である。
田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。