週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2005年07月05日(火) 18:42

 あまりの強さにぶったまげたというのが、アメリカンオークスを見た正直な感想である。馬の状態は抜群だったし、福永騎手も完璧な騎乗を見せた。それでもなお、これほど衝撃的な勝ち方をするとは、関係者も含めて、ほとんどの人たちにとって想定外だったはずである。

 シーザリオの引いた枠順は大外の13番(当日1頭取り消しで、実際は12番枠からの発走)。日本のオークスのように最後方から直線だけで勝負するスタイルはアメリカの馬場では通用せず、従ってイメージとしてはフラワーCのような、ある程度先行する競馬を考えていた陣営にとって、途轍もなく大きな不利に見えた。後ろから行って、外々を廻って勝てるほど、甘いレースではないのは明白だったからだ。

 福永騎手の手綱さばきには1点のミスも見られなかった。好スタートから馬なりで行かせ、ジワジワと馬を内に寄せていき、引き込み線から本コースに入るあたりでは、内に2頭分ぐらいスペースのある、3番手につけていた。ここまでは、まず完璧。最内で包まれることを何よりも恐れていたジョッキー自身にとっても、理想的なポジショニングであっただろう。

 驚いたのが、3コーナー手前だ。逃げていたイスラコジーンが後退を初め、レースが動き出すと、シーザリオはこの地点で一気に先頭に立ってしまったのである。

 このレース振りは、アメリカにおいて、強い馬が強い勝ち方を見せる時の展開である。3ハロンポール手前から自力で勝負に出て、一気に突き放して勝負を決める、力の違いがなければ出来ない、アメリカ競馬におけるトップホースの常道である。まさにスーパーフィリーであると、たまげるより他になかったのである。

 腰が抜けるほど驚いたのは、地元アメリカの関係者やファンも同様だった。2着に来た1番人気のメロールアインダは、管理する名伯楽ロバート・フランケル師が、「スーパーフィリー」と言い続けていた馬だったのだ。ここまでの4戦で見せたのと同様、メロールアインダも、道中中団に控えて3コーナーからスペシャルな脚を使って一気に進出するという、彼女らしいレース振りを見せてくれた。ところが、ここまでの4戦ではひと捲くりで先頭に立っていたのに、この日は4馬身も前方に真のスーパーフィリーがいたのである。

 関係者も含めてほとんどの人にとって想定外だった衝撃のパフォーマンスを、実はたった一人、レース前から確信していたのが福永祐一騎手だった。レース後に「凄いレースをしましたね」と声をかけさせていただいたところ、「まあ、こんなものだと思ってました」と、涼しい顔で回答してくれたのである。

 シーザリオが能力を存分に発揮できた背景にあるのは、陣営の施した周到な用意とバックアップ体制だったと思う。

 管理する角居調教師は過去一時期、ハリウッドパークのニール・ドライスデール厩舎で研修をした経験があり、ハリウッドパークは勝手知ったる場所だったのだ。管理する人間が、全く知らない場所に行くのと、良く知っている場所に行くのでは、チームとしての動き方に雲泥の差が出るはずだ。研修に行ったときには、こんなに早く管理馬を連れて来られるとは思っていなかったそうだが、まさに将来を遠謀した準備が奏功したのである。

 レーシング・マネージャーとして起用された清田俊秀さんは、シンガポールの高岡厩舎でマネージャーを務めていた他、海外経験の極めて豊富な方である。こういう存在がいると、チームがどっしりと落ち着くものだ。

 岸本調教助手は、チームのムードメーカーとお見受けした。エクセサイズライダーとして優れた技術をお持ちなことはもちろんだが、馬の上でも常に笑顔を絶やさず、シーザリオ自身はもちろんのこと、他のスタッフの緊張をほぐす役割を担っておられたようだ。

 生産者のノーザンファームも、様々で側面でのバックアップを惜しまなかったと聞く。まさにチーム・エフォートによる快挙達成であったようだ。

 私事になるが、今年のアメリカンオークスを現地から生中継したグリーンチャンネル・チームの一員として、現場で目の当たりにする幸運に恵まれた。グリーンチャンネルにおける現地出しの海外レース生中継は、実はこれが始めての試み。編成部のT氏、その上司の同じくT氏らの尽力によって実現したものだ。

 放送人として長年の念願が適ったわけで、しかもレースがこのような結果に終わり、まさに至福の幸せであった。

 ただ、そんな中、実はほんの一時、ほんの一瞬だけ、放送ブースにいることを恨めしく思う瞬間があった。勝利したシーザリオが引き上げてきた時、迎えに出た好漢・岸本助手が、涙にくれていた。号泣といっても差し支えない姿だった。

 見ていて思わず目頭が熱くなったが、解説者が泣きながら喋るわけにはいかず、懸命に堪えた。ふと隣を見ると、実況を担当した中野雷太アナウンサーも、目を真っ赤にしながら必死で言葉を繋いでいた。

 そんな私たちが救われた思いをしたのが、全てのレースが終了した後に、ハリウッドパークのトラックアナウンサーが発した言葉だった。これを聞けただけで、現地に居られて本当に良かったと思った。

 「今日のレースはこれでおしまいです。池があって、きれいな花たちで飾られ、シーザリオがいたハリウッドパークから、さようなら」。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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