もっとも難しいレースを要求されながらの快勝/セントライト記念

2018年09月18日(火) 18:00


◆上がり34秒台も珍しくない菊花賞に対応できる可能性を示した

 飛ばしてレースを先導したタニノフランケル(父フランケル)が、めったに見られない特殊なペースを作ったため、2番手ジェネラーレウーノ(父スクリーンヒーロー)以下の対応の仕方はきわめて難しかった。だが、この難しい形から快勝したのは2番手から抜けたジェネラーレウーノ。3番手以下は中山の皐月賞2000mを3着した同馬(田辺裕信騎手)に、ペース判断を任せた形になった。結果、もっとも難しいレースを要求されたジェネラーレウーノに完敗だから、脚質に大きな注文のつく馬以外は、こと菊花賞を展望するうえでかなり後退だろう。

 タニノフランケルの先導したペースは「前半1000m60秒9-(12秒0)-59秒2」=2分12秒1。レース全体のバランスは緩い流れに映りかねないが、前半1000m通過地点で2番手ジェネラーレウーノとの差は「3馬身弱」。ところが、そこから「12秒0-11秒5-11秒2-11秒6→」とピッチを上げて引き離し始めた。2番手との差はハロン標ごとに「約5馬身→8馬身→10馬身→5馬身→残り200mでは2馬身」と変化し、失速しつつまだ先頭だったタニノフランケルの2000m通過は「1分59秒5」だった。しかし、同馬はそこで止まって最後「13秒7」。2分13秒2で12着。この馬にはこれから何度も悩まされそうである。

 では、前半1000m通過地点で3馬身弱ほどしか離れていなかったジェネラーレウーノの後半1200mはどうだったのか。あくまで推定ラップだが、およそ「61秒4」で1000mを通過したあと、後半1200mは「12秒4-12秒1-11秒6-11秒0-11秒4-12秒2」=1分10秒7と思われる。ジェネラーレウーノ自身の・・・

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柏木集保

1948年、長野県出身、早稲田大卒。1973年に日刊競馬に入社。UHFテレビ競馬中継解説者時代から、長年に渡って独自のスタンスと多様な角度からレースを推理し、競馬を語り続ける。netkeiba.com、競馬総合チャンネルでは、土曜メインレース展望(金曜18時)、日曜メインレース展望(土曜18時)、重賞レース回顧(月曜18時)の執筆を担当。

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