2005年07月27日(水) 11:35
7月18日・19日の両日、アメリカ・ケンタッキー州のレキシントンで、北半球のセールとしてはイヤリングが上場される今季初のメジャーな市場となる、「ファシグティプトン・ケンタッキー・ジュライ・イヤリングセール」が開催された。世界のブラッドストック・マーケットはいよいよ、04年生まれ世代が本格的に売買される季節に突入したわけである。
実は、このセールについてこのコラムでレポートするのは、これが初めてのことになる。90年代前半には平均価格が3万ドル台の中堅市場だったここが、90年台後半から急上昇してマーケットにおける存在意義を拡大。ほぼ同じ時期に同じレキシントンで行われていたキーンランド・ジュライセールが休止になって以降は、殊更に市場としての重要性が高まり、平均価格も昨年初めて10万ドルを突破。数あるイヤリングセールの中でも、メジャーな存在として認知されるまでになってきたのである。
まずは、今年の市況から御報告すると、総売り上げが前年比3.9%ダウンの3710万ドル。平均価格が前年比11.8%ダウンの100,832ドルで、中間価格が前年比6.3%ダウンの75,000ドル。昨年25.2%だったバイバックレートが、今年は38.8%に跳ね上がった。
すなわち、主要な指標はすべて前年より悪化したわけだが、まずは総体的な評価をするなら、それほど悲観的になることはない結果と見て差し支えないと思う。昨年初めて10万ドルを超えた平均価格が、今年も大台をキープ。中間価格も、歴代最高だった前年に次ぐ史上2番目の数字を記録。なおかつ、中間価格の下落幅が平均価格の下落幅より少なく済んだという点などを鑑みると、マーケットとして一応合格ラインには達していると判断すべきだろう。
もちろん、気掛かりな点は多々ある。1つは、トップエンドの市場が寂しかったこと。最高価格は2日目に登場した父ジャイアンツコーズウェイの牡馬に付いた65万ドルだったが、これは02年以降の最高価格馬としては最も低い値段であった。関係者によると、トップエンドの馬がいずれもパンチ不足で、どれが最高価格になるのか、蓋を開けてみなければ皆目見当が付かない状況だったそうだ。つまりは、購買者側の資金力に原因があったわけではなく、目玉となるような馬がいなかったという、品揃えの問題があったのである。今年の市況を分析する上で、最も問題にすべきはバイバック・レートなのは、言うまでもないことである。38.8%というのは、02年の39.4%に次ぐ、近年のワースト2だ。
取りざたされている理由は2つ。
1つは、上場頭数の急激な増加である。欠場馬を除いた実質的上場頭数601頭というのは、前年の452頭に比べて33%も拡大。過去最大は02年の536頭だったから、断トツの歴代最高だったのである。今年の売却頭数368頭も、歴代最多。つまりは、需要は前年並みにあったのに、というか、需要は前年並みしかなかったのに、上場頭数が極端に増加したため、売却率という点では大きな下落を見てしまったのである。
そして、市況下落のもう1つの要因が、ピンフッカーたちの買い控えであった。今年の春、キーンランド・エイプリル、バレッツ・マーチという主要な2歳トレーニングセールで、マーケットの縮小があったことは皆様の御記憶にも新しいところであろう。また、全体の市況は上昇したファシグティプトン・コールダーあたりでも、販売側の付けたリザーブが高すぎるという声が盛んに飛び交い、バイバックレートの急上昇を招いている。そんな諸事情を鑑みて、ピンフッカーたちが強気の仕入れを行えなかったことが、需要の伸びを抑制した要因となったようだ。
日本人によると見られる購買は、平均購買価格108,333ドルで6頭。前年が平均8万5千ドルで7頭、一昨年が平均13万3千ドルで4頭だから、ほぼ例年並み。昨今の外国産馬買い控え傾向からすると、健闘の部類に入ると言ってよいだろう。
重賞2勝馬ユーキャンドゥイットの弟にあたる父アワエンブレムの牡馬をはじめ、なかなかにシブいセレクションとなっているので、来年のPOGでもぜひ御注目いただきたいと思う。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。