2019年02月14日(木) 18:00
▲ netkeiba Books+ から『メイセイオペラ』の1章、2章をお届けいたします。
1999年のフェブラリーステークス。岩手競馬所属のメイセイオペラは地方馬として、初めて中央競馬のGIレースを制覇した。快挙から20年、中央GIを制した地方馬は今もなお、メイセイオペラただ一頭。彼はいかにして強くなり、どのような困難に打ち勝って、ダートの頂点に立ったのか。決してくじけなかった名馬の蹄跡を辿る。
(文:井上オークス)
(写真:森内智也、KRA)
1994年6月6日。北海道・平取町の高橋啓牧場で、栗毛の男馬が産声を上げた。父グランドオペラは、イギリスで1戦0勝。母テラミスは、岩手競馬で1戦0勝。非常に地味な血統である。しかし、テラミスを所有していた小野寺良正オーナーは密かに期待をかけていた。
「テラミスは気性難が災いして大成できなかったが、馬っぷりはいい。母としていい仔を出すのではないか―――」
なんとか繁殖牝馬としての活路をこしらえてあげたいという、親心でもあった。生まれた仔馬は遅生まれということもあって、同い年の馬と比べると、ずいぶん体が小さかった。そこで、当時はまだ一般的ではなかった昼夜放牧によって、成長を促された。そして2歳の春、開業間もない佐々木修一厩舎(水沢)へ入厩。小野寺オーナーの冠名“メイセイ”と父グランドオペラの名を組み合わせて、メイセイオペラと名付けられた。
そして1996年7月、盛岡競馬場で迎えたデビュー戦を、4馬身差で逃げ切った。小野寺オーナーは瞳を輝かせて、明子夫人にこう伝えた。
「これはモノになるぞ! もしかしたら、夢が叶うかもしれない」
ところが…。栄えある新馬勝ちから1カ月後。小野寺オーナーが急逝してしまう。メイセイオペラの活躍を楽しみにしていた夫の遺志を継いで、明子夫人がオーナーを続けることになった。
2戦目以降は出遅れや落鉄が響いて連敗を喫するが、6戦目から快進撃が始まる。2歳の暮れ、水沢の白菊賞を4馬身差で快勝した。菅原勲騎手(当時)は、このレースで初めて、メイセイオペラの手綱をとった。
「バネがあって動きはいいけど、華奢な馬だな。線が細くて、とても460キロあるとは思えない」
岩手の怪物といわれたトウケイニセイをはじめ、数多の名馬に跨ってきた名手にとっては、「いい馬のうちの一頭」にすぎなかった。それでも3歳になったメイセイオペラは、岩手・上山・新潟の精鋭が相まみえる東北ダービー(新潟)、伝統の不来方賞(盛岡)などを圧勝し、連勝を「9」に伸ばした。
もう、地元の3歳に敵はいない。陣営は満を持して、中央遠征の計画を立てる。岩手から中央競馬に挑戦して勝つことは、先代オーナーの夢だった。目指すは、東京競馬場で10月に行われるユニコーンステークス。ところが、順調に調教を積んでいた矢先に―――痛ましいアクシデントが起きる。
▲ 中央の強豪を撃破し、地方馬として初のGI制覇を成し遂げた99年のフェブラリーS
1997年9月23日、早朝3時。水沢競馬場のコースで調教に精を出していた柴田洋行厩務員(当時)の元へ、同僚が血相を変えて飛んできた。
「オペラが大変なことになった。早く厩舎に戻れ!」
柴田厩務員はまったく状況がつかめなかったが、あわてて厩舎へ向かう。するとメイセイオペラが、血まみれになっているではないか。鼻から大量の血を流しながら洗い場に繋がれて、ガタガタ震えている。
「朝一番に馬房を覗いたときは、なんの問題もなかったのに。おとなしくて、すごく扱いやすい馬なのに…」
愛情を注いできた担当馬の痛ましい姿を見て、ハタチの柴田厩務員は、茫然と立ち尽くした。その日は仕事にならなかった。
メイセイオペラはこの朝、ユニコーンステークスに向けて1週前追い切りを予定していた。予定時刻を過ぎてもオペラがコースに現れないことに首を傾げていた菅原騎手も、知らせを受けて駆け付けた。菅原騎手もまた、血まみれのオペラを目の当たりにして、言葉を失った。
右目の周りが酷く腫れた。1週間も鼻血が止まらず、飼い葉も食べなくなった。診断は「前頭骨の骨折」。体を横たえた状態から起き上がるとき、右目の上を、馬房のどこかに強くぶつけたらしい。不可抗力の事故。柴田厩務員は不眠不休で看病した。
幸い、脚元は無事だった。失明の恐れもあったが、視力に影響がないことがわかった。ケガから2週間後には、軽い運動を開始。3週間後には、コースで調教できるようになった。「頭がよくて、無駄な動きはしない」というメイセイオペラの真面目な性格と、陣営の懸命なケアが、驚異的な回復をもたらしたのだ。
ケガをする前のプランは、10月のユニコーンSから11月のダービーグランプリ(盛岡)を経て、同じく11月のスーパーダートダービー(大井)へ向かうというもの。ユニコーンSは回避を余儀なくされたが、陣営は協議を重ねて、ダービーグランプリへの出走を決意した。1カ月足らずの調教で臨むことになるが…佐々木調教師には、長年の厩務員経験にもとづく信念があった。
「強い馬と走ることで強くなる。強豪と戦うことで、壁を乗り越えていける」
調教不足は否めないが、挑戦することに意味を見いだした。16歳で佐々木厩舎の一員となり、馬づくりを学んできた柴田厩務員は、「先生を信じよう」と思った。
2番人気に推されたダービーグランプリは、10着に沈んだ。地元の期待に応えることはできなかったが、右のまぶたを腫らしながらも、懸命に走った。スーパーダートダービーにも挑戦したが、10着に敗れた。
競走馬は繊細な生き物だ。たとえケガは完治しても、精神的なダメージの影響で、全力で走ることができなくなってしまう馬がいる。陣営の胸中を不安がよぎった。連戦連勝を重ねた頃のオペラには、もう戻れないのかもしれない―――。
“地方馬による中央GI制覇”というメイセイオペラの偉業は、あれから20年経った今も唯一無二の記録として燦然と輝いている。
(続きは 『netkeiba Books+』 で)
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