週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

2005年10月11日(火) 14:27

 10月4日から7日まで、イギリスのニューマーケットで行われた欧州最高のイヤリングセール「タタソールズ・オクトーバーセール・Part1」は、極めて強いマーケットとなった。

 総売り上げ5963万ギニーは、前年比13.3%アップ。平均価格も、前年比16.3%アップの119,509ギニー。中間価格は前年同様の70,000ギニーに留まったが、前年27.7%だったバイバックレートが今年は15.7%とほぼ半減。生産者、市場関係者にとっては、ホクホクの結果となった。

 数字を見るだけで、好況ぶりは充分に窺えるが、現場の雰囲気は数字以上に「売り手市場」を感じさせるものだった。バイバックレートが象徴しているように、どの価格帯も購買層が分厚く、買う側からするといかにも隙のない市場だったのだ。換言すれば、「こういう価格帯のこういう血統なら需要が薄いから狙い目」といった戦略を立てづらく、つまりは欲しい馬を獲りに行って相手が強ければ玉砕という、正攻法の購買に徹しざるを得ない状況が出来上がっていたのである。

 最高価格馬は、3日目の開始まもなくに登場した、父キングマンボ・母ラストセカンドの牡馬。マクトゥーム家の長兄マクトゥーム・アル・マクトゥームのゲインズボロー・スタッドが、125万ギニー(約2億7000万円)で購買した。母は現在G1に昇格したグッドウッドのナッソーSの勝ち馬で、ロイヤルアスコットのG1コロネーションSでも2着となっている活躍馬。セール直前の9月29日に、本馬の1つ上の兄オーシールールズ(父デインヒル)がニューマーケットのG3ソマーヴィルSを制して来季のクラシック戦線に浮上していたこともあって、「高馬候補」として厩舎村で評判になっていた1頭だった。

 ただし、実馬は男馬にしては少々小柄。骨格も軽そうで、その分いかにもアスリートタイプで鋭そうな馬だったが、迫力という点でワンパンチ欠ける印象があっただけに、これが最高価格というのは私にはいくらか意外だった。

 この馬がここまで高くなったのは、巷で話題となっている、マクトゥーム家によるクールモア繋養種牡馬産駒ボイコットの余波であろう。世界の競馬を牛耳る2大勢力の、一方の雄であるマクトゥーム家が、ライバルであるクールモアが所有する種牡馬の産駒を市場で徹底的に“無視”するようになったのは、この夏過ぎからのことだ。サドラーズウェルズ、デインヒルといった大御所から、モンジュー、ジャイアンコウズウェイ、フサイチペガサス、ロックオブジブラルタルといった若手の旗手たちまで、クールモアが誇る種牡馬陣のラインナップは強大で、これを避けて通ろうとすれば、購買の選択肢はかなり限られてくる。つまりは、キングマンボ、ピヴォタルといった非クールモア系有力種牡馬を父に持つ良駒が上場されると、マクトゥーム家の人々が不退転の姿勢で獲りに来ることが多く、これが市場高騰を招いた一つの要因となったことは間違いなさそうだ。

 ちなみに最高価格馬のアンダービダーは、日本人購買者であった。残念!!

 その、日本人によるとみられる購買は11頭。購買馬の平均価格は14万9千ギニーだった。前年が10頭を平均15万2千ギニーだったから、昨今のマル外買い控えの風潮を鑑みれば、おおいなる購買意欲を見せたといって良さそうだ。

 日本人によると見られる購買の最高価格馬は、父ガリレオ・母ゼルダの牡馬で、80万ギニー(約1億7200万円)だった。01年のG1ミドルパークS2着馬ジッピングの弟で、叔父にBCマイル勝ち馬ラストタイクーン、いとこに仏1000ギニー勝ち馬ヴァレンタインワルツらがいる牝系の出身。父はサドラーズウェルズの「忠実な後継者」と言われる馬だが、母の父がカーリアンと日本向きのエッセンスも持ち合わせている。関東の超有力厩舎に入厩予定なので、POGファンの方はぜひ記憶しておかれるとよいだろう。

 この他、母がG1チーヴァリーパークS勝ち馬ワナビーグランドという牡馬(父セルカーク)、母がG1イエローリボンS勝ち馬ジャネットという牡馬(父ジャアンツコウズウェイ)、母が愛オークス勝ち馬ピュアグレインという牡馬(父キングズベスト)、兄にG1香港マイル勝ち馬ファイアブレークがいる牡馬(父ファンタスティックライト)、祖母に仏1000ギニーをはじめG1・3勝という名牝カルチャーヴァルチャーがいる牝馬(父シングスピール)など、日本人購買馬には魅力的な馬が多く、今後をぜひフォローしていきたいと思っている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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