谷川弘一郎浦河町長、僅差で当選

2005年11月29日(火) 23:50 0

 ジャパンCの行われた11月27日は、浦河町長選の投票日でもあった。4期16年間、町政を担ってきた谷川弘一郎現町長(70歳)が、早々に5期目を目指して立候補することを表明。しかし、危機に瀕する町財政の立て直しや日高東部3町の合併問題などに加え、多選による弊害なども一部で囁かれていることから、今回は他に2人の候補が相次いで出馬する「三つ巴」の選挙となった。

 谷川弘一郎町長については、今更詳しく紹介する必要がないほど競馬ファンにはよく知られた存在である。名門・谷川牧場の当主として、タケホープ(73年日本ダービー)やミナガワマンナ(81年菊花賞)などを生産し、「5冠馬・シンザン」を長年種牡馬として繋養していたことでも有名だ。民間牧場の経営者という経歴から、日高の軽種馬生産を行政の立場で牽引してきた人といって差し支えない。

 だが、政権が4期16年にも及ぶと、様々な“垢”もついてくる。対立候補の1人である池田拓氏は、この夏まで谷川町長の下で町職員として在職してきた人物だ。年齢は54歳。働き盛りの現役世代であるにもかかわらず、町職員の立場を捨てて公然と現町長に反旗を翻した形になる。

 また、もう1人の吉田昌治氏(65歳)は、4年前の前回選挙にも立候補し、谷川町長と激しい選挙戦を戦った経歴を持つ。いわば雪辱を期しての再挑戦であり「そのための準備は十分にしてきた」と手ごたえを感じならの立候補だったと聞く。

 田舎町のこと、普通ならば立候補が3人いたとしも、とかく「一騎打ち決戦」(つまり3人目は泡沫とは言わぬまでも票が伸び悩むことが多い)になり勝ちである。さもなくば現職が他の候補を抑えての圧勝となるか、そのどちらかなのだ。

 ところが、今回は、文字通りの「三つ巴」選挙の様相を呈していた。各陣営ともに最後まで票読みに苦慮させられたようで、下馬評では当初、「現職有利」と言われていたものの選挙戦の途中から「必ずしも有利ならず」との厳しい見通しに変化し、最後の最後まで、誰が当選するかがまったく読めない難しい町長選となったのである。

 ところで浦河町は人口約1万6000人。そのうち有権者数は約1万2500人。各陣営ともに、「4000~4500票程度は獲得したい」との目安を立てて、壮絶な選挙戦に突入したのだった。しかし、狭い町(面積ではなく人間関係が、という意味である)ゆえに、各陣営がそれぞれ支持者を通じて投票依頼に回るため、この町に古くから住む人々の中には「3人とも来たので困っている」などと悲鳴を上げる例も多数あった。

 また、どの候補の後援会にも名前を連ねる豪傑?も少なくなかったと聞く。地縁、血縁、友人知人、さらに学校の先輩後輩や商売上の結びつき、義理などが複雑な糸のように絡み合い、票読みは最後の最後までもつれたのは無理のないところだ。

 結果は、谷川現町長が3876票で当選。以下、池田拓候補が3605票、吉田昌治候補が2481票で辛うじて現職が5選を果たした。池田氏との票差はわずか271票。投票者数1万54人だが、うち92票の無効票があり、有効投票数は9962票だった。なお投票率は80.16%。

 当選とはいえ、谷川町長にとっては、かなり厳しい結果となったと言わざるを得ない。票数を支持率と見なすならば、4割を切る得票数に終わったわけで、他の敗れた候補2人に投じられた票数が6割に達する事実をどのように受け止め、今後の町政に反映させて行くか、手腕が問われるところである。

バックナンバーを見る

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

新着コラム

コラムを探す