2005年12月06日(火) 23:50
11月21日から12月1日まで、英国ニューマーケットで開催された欧州最大のブリーディングストックセール「タタソールズ・ディセンバーセール」は、総売り上げの7,415万ギニー(前年比40.1%アップ)、平均価格の39,487ギニー(前年比17.5%アップ)、中間価格の2万ギニー(前年比25%アップ)の全てが歴代レコードという大盛況に終わった。
英国は現在、ロンドン及びその近郊を中心に地価が上昇し、かつて日本で見られた「バブル」に似た経済状況が生まれつつある。すなわち自国の経済が好調で、その上に、馬産界の活況が続くアメリカをはじめ国外からの資本が潤沢に投下されたことで、かつてないほど熱を帯びた市場が展開された。
セール最高値馬は、牝馬セッション2日目の11月29日に165万ギニー、邦貨にしておよそ3億6000万円で購買された、5歳牝馬モーメンツオヴジョイ。本馬の競走成績は準重賞を勝った程度とそれほど大層なものではないが、母マイエマはヴェルメイユ賞、ヨークシャーオークスとG1・2勝。母の兄弟に同じくG1・2勝のクラシッックリシェがいて、本馬の父がブルードメアサイヤーとして定評のあるダルシャーン。更に、受胎しているのが期待の若手種牡馬リフューズトゥーベンドと、複数あった「買い」のファクターの相乗効果で、極めて大きな購買価格となった。購買したのはアイルランドのクールモア・スタッドで、来年はサドラーズウェルズとの交配が予定されている。
ちなみに、130万ギニーというセール2番めの高値となったのが、最高価格馬モーメンツオヴジョイの母マイエマ。既に12歳と齢を重ねているが、受胎している種はピヴォタルと更に魅力的。こちらも購買者はクールモアで、来春にはモンジューとの交配が予定されている。
日本人も、1歳、当歳、牝馬合わせて32頭(プラス1、2頭)余りを落札。近年では最も活発な購買を見せた。
日本人によると見られる購買の最高価格馬は、牝馬セッション2日目の11月29日に登場した3歳牝馬ムーンライトダンス。自身がG3愛インターナショナルSの勝ち馬で、兄に愛ダービー馬グレイスワローがいるという良血馬。現在、英愛ダービー制覇に加えてBCターフ連覇を果たしたハイチャパラルを受胎している。価格は80万ギニー、およそ1億7600万円だった。
先日のエリザベス女王杯に参戦したサミットヴィルも、日本人によると見られる購買者が45万ギニーで落札。来年から日本で繁殖入りすることになった。日本での成績は馬場が合わずに振るわなかったサミットヴィルだが、2歳の頃から重賞戦線で活躍し、英国オークスでも3着となった実力馬。馬体も一級品で、母として大きな期待がかかる。
セールスリングでは主取りになったものの、その後の直接交渉で日本人によると見られる購買者への販売が決まったのが、今年の愛1000ギニー2着馬ペンケンナプリンセスだ。若くして繁殖入りするこの実力馬にも、母としての期待は高い。
イヤリングセションにおける日本人購買馬では、10万5000ギニーで購買された父ヨハネスブルグ、母ローゼルが面白い存在だ。いとこにシャンパンS(2歳、英G2)勝ち馬エトラーラがいる牝系に、2歳チャンピオンだった父の配合だから、血統的には間違いなく早めから動けるはず。POGフリークのお歴々には、見逃せない馬かもしれない。
フォールセッションでも、日本人はなかなか興味深い素材を購入している。例えば、6万ギニーで購買された、母ソーアドミラブルの牡馬。母の兄弟に、クイーンエリザベス2世S勝ち馬サモナーや、エクリプスS勝ち馬コンプトンアドミラルらがいる牝系。父は、初年度産駒からジャリスコライトを輩出して、日本への高い適性を示しているファンタスティックライトだ。
5万ギニーで購入された母シルヴァークエストの牡馬も、父は日本への適性が高いシングスピール。母の兄弟にスプリンターズSや安田記念を制したブラックホークがおり、牝系も日本の競馬との相性の良さを示唆している。
5万5000ギニーで購買された母アブソルートプレシジョンの牡馬は、母の姉にアメリカでG1ケンタッキーオークスとG1アラバマSを制したフルートがいるという活気あるファミリーの出身。父はサドラーズウェルズの直子ながら、アーリントンミリオンを勝つなど軽い馬場への適性もしめしているビートホロウ。大物候補として覚えておきたい馬である。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。