2020年05月27日(水) 18:00 61
あしずりダディー牧場にやってきたダノンゴーゴー(提供:あしずりダディー牧場)
2008年のファルコンSの優勝馬のダノンゴーゴーが種牡馬を引退して、繋養先だった熊本県のストームファームコーポレーション(旧村山牧場)から、高知県土佐清水市にあるあしずりダディー牧場に無事到着したのは、5月23日だった。ストームファームコーポレーション(旧村山牧場)の馬運車から降りたダノンゴーゴーは、くまモンのアップリケを着けたメンコを着用。周囲から「可愛い」との声が上がった。
ダノンゴーゴーは、2005年3月13日にアメリカで誕生している。父はミスタープロスペクター系のAldebaran、母Potrinner(母父 Potrillazo)という血統だ。ダノックスが所有し、栗東の橋口弘次郎厩舎の管理馬として、2007年11月3日に京都競馬場の芝1200mの新馬戦でデビュー勝ちを収め、5戦目の2008年2月16日に京都競馬芝1200mの3歳500万下で2勝目を挙げた。
続く3月15日に中京競馬場で行われたファルコンSに武豊騎手が騎乗して出走。18頭立ての15番手で4コーナーを回った時には絶望的な位置取りに見えたが、最後の直線では目の覚めるような末脚を繰り出して、前にいたマルブツイースターとルルパンブルーを図ったようにとらえ、ゴール前では手綱を抑える余裕すらある、鮮やかな勝利だった。
重賞初制覇の勢いに乗って臨んだニュージーランドT(GIII)ではよもやの7着に終わり、GIのNHKマイルCでは14番人気と評価を落としていた。だがディープスカイの3着と低評価を覆す走りを披露。その後の活躍を期待されたが、屈腱炎を発症して長期休養を余儀なくされた。2010年5月30日の鞍馬Sで2年1か月振りに復帰したが、12着と大敗。次走に向けて調教をされていたが、残念ながら屈腱炎を再発して競走馬登録が抹消された。
ファルコンS優勝時のダノンゴーゴー(C)netkeiba.com
第二の馬生は、一度は乗馬と発表されたが、一転して九州の地で種牡馬としての道が開けた。熊本県の村山牧場(現ストームファームコーポレーション)に繋養されて2011年から2019年まで種付けを行い、今年に入って種牡馬引退が決まった。
あしずりダディー牧場代表の宮崎栄美さんは、牧場の存在を知ってもらいたいという思いもあって、重賞勝ち馬を迎え入れたいという希望を持っていた。その願いは人づてに伝わり、今回のダノンゴーゴーの縁に繋がったのだった。
宮崎栄美さんは、馬とは無縁の生活を送っていた。ところが今から十数年前のある日、不思議な出来事が起こった。
「リビングに座ってコーヒーを飲んでいた時に、突然『馬をしなければならない、馬をやろう』と立ち上がって声に出して言ったんです。当時私は専業主婦で、馬や競馬のことは全く知らなかったですし、突然『馬をやろう』なんて自分でも不思議です。周囲の人にも、信じられないとよく言われますね(笑)」
宮崎さんは、すぐさま行動に移した。
「まず乗馬クラブに電話をして、馬が欲しいのですけどと伝えたら、相手は『はあ?』という感じで(笑)、相手にされませんでした。馬に詳しいかと聞かれましたけど、初めてです、でも馬が欲しいんですと伝えました。馬はいくらくらいするんですか?と尋ねたら『車1台分くらいです。調教を入れてお渡しするとそのくらいはかかりますよ』と。これはなかなか難しいなと思って質問を替えて、馬の飼い方を教えてくれますか? と聞いたら、『飼い方は教えてないです』という返答でした」
電話を切った宮崎さんは、いったいどこで聞いたらいいのかと考えを巡らせていたが、やがて土佐清水市と隣接する四万十市にある幡多農業高校に馬術部があることがわかった。
「そこなら車で30分ほどで行けるので、これやと思って、馬術部の顧問の先生に電話をして『馬を飼いたいんですよ』と(笑)。もう気持ちが前のめりだから(笑)。そこでも『はあ?』という反応をされました(笑)」
宮崎さんはめげなかった。
「乗ることも覚えなければならないんですけど、馬の飼い方が大事なんですよね、私の場合。と伝えたんです。そうしたら『ボランティアで厩舎作業等を手伝うなら受け入れます。その合間に乗る練習もしますか?』と言ってくださったので、行きます、行きます! と。それから私と馬の関わりが始まりました」
しかし乗馬の訓練には試練もついてきた。
「馬に乗り始めたのが50歳前後でしたから、もう落馬の連続でした。馬術部でしたから障害を飛ぶような馬で、運動もかなり激しくしていましたので、いつも落とされていました。乗った瞬間に振り落とされたりとか、怪我の連続で骨も相当折りましたね。落ちた時に手をついて粉砕骨折をしたり、指の先を折ったり。落馬する時は、手から行くことが多いじゃないですか。痛かったですよ、すごく。肋骨を折ったこともありますし、合計3回骨折しました」
怖いと感じることはあったが、辞めたらそこで終わってしまう、馬を飼うことはできなくなるという気持ちが強く、馬術部通いは続いた。しかし、悲しい出来事が宮崎さんを襲った。
「私がよく練習で乗っていたダディーという馬が突然亡くなったんです。亡くなる3日前に、ダディーに乗って練習していて、3日後に先生から電話があって『実はダディーが死んだんですよ』と。はじめは冗談かと思ったんですけど、先生の声が真剣だったので、本当かどうかもう一度確かめたら事実だということがわかりました」
その日は残暑が厳しかった。それも影響したのだろうか、ダディーは生徒を乗せて練習中に、突然倒れてそのまま息を引き取ってしまった。宮崎さんのショックは大きかった。
「落馬は根性でどうにかなりますけど、自分が愛していた馬が亡くなったというのは精神的にかなり厳しかったですね」
その痛手からなかなか立ち直れず、一時は馬から遠のいたほどだった。
「でもやはり馬のことが気になって、馬術部に通うようになりました」
宮崎さんは再び馬と関わるようになった。そして牧場開設に向けて、徐々に舵が切られていった。
(つづく)
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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。