バビットが蘇らせた人馬の物語

2020年09月24日(木) 12:00

 セントライト記念をバビットが制し、ラジオNIKKEI賞につづく重賞連勝を果たした。これで6戦4勝2着2回。距離適性は父ナカヤマフェスタ、安定味は母の父タイキシャトル譲りなのか。

 正直、ラジオNIKKEI賞は、マークが緩かったことに「ウチパクマジック」が重なっての勝利かと思っていたのだが、今回、あの一戦がフロックではなかったことを証明した。

 浜田多実雄調教師は「実は前に馬を置いたほうが走りやすいタイプ」とコメントしている。ハナにこだわる必要はないわけだ。

 無敗の三冠制覇を狙うコントレイルにとっては、厄介な難敵が現れたと言えよう。

 ナカヤマフェスタの産駒を見るたびに、10年前の2010年、凱旋門賞を取材したときの二ノ宮敬宇調教師(当時)の言葉と表情が思い出される。

 ワークフォースの頭差の2着に惜敗した翌朝、「チーム・ナカヤマフェスタ」が拠点としたラモルレイのトニー・クラウト厩舎前でのことだった。二ノ宮元調教師は、いわゆる「一夜明け」の囲み取材の最後にこう言った。

「この馬をこのままここに滞在させてフランスの馬にすれば、来年の凱旋門賞を勝てると思いますよ」

 サバサバした口調ではあったが、悔しさまじりの小さな苦笑が印象的だった。

 ナカヤマフェスタは「フランスの馬」にはならずに帰国。脚元の不安などのため、その後は力を出し切れずに終わった。

 時はさらに10年以上遡るが、二ノ宮元調教師が管理し、1999年の凱旋門賞で「勝ちに等しい2着」となったエルコンドルパサーも、また、その前年、1998年にジャックルマロワ賞を岡部幸雄氏の手綱で制したタイキシャトル(藤沢和雄厩舎)も、同じクラウト厩舎を拠点にして結果を出した。

 そのナカヤマフェスタを父に、タイキシャトルを母の父に持つバビットが、凱旋門賞を2週後に控えた日にセントライト記念の父仔制覇を果たしたのだから、競馬というのは面白い。

 二ノ宮元調教師も、クラウト元調教師も2018年に調教師を引退した。2人とも66歳だった。

 こんなふうに、バビットは、20年ほどの時空を超えた、いろいろな人馬の物語を蘇らせてくれた。

 ステイゴールドの孫の世代としては、ラッキーライラック、エポカドーロといった先輩たちがすでにGI制覇を果たしている。それらにつづく存在になるか、注目したい。

 22年前、タイキシャトルで念願の海外GI初制覇を果たした岡部氏の目には涙があった。その前週、武豊騎手のシーキングザパールがモーリスドゲスト賞を勝ち、日本馬による海外GI初制覇を達成していた。

 私は現地に行っておらず、帰国した武騎手を成田空港で迎えた。当時29歳だった武騎手が、空港の動く歩道に乗って照れたように笑っていた姿は今もよく覚えている。

 10年前、二ノ宮元調教師の囲み取材に加わった厩舎は、クラウト元調教師の引退と同時に売却されたという。

 確かに10年の時が流れた。あれから10年も経ったのか。まだ10年しか経っていないのか。

 もう10年も経ってしまったのか、というのが率直な気持ちだ。10年しか経っていないのに、あのころは、自分があと何年文章を書けるかとか、死ぬまでに何冊本を出せるかなど、考えもしなかった。

 父は入院中だったが母は家で生活していたし、石川ワタルさんも、清水成駿さんも、阿部珠樹さんも、山野浩一さんも、かなざわいっせいさんも健在だった。

 東日本大震災も起きていなかった。

 だから何なのだと言われても困るのだが、ともかく、想像もできない10年後がやってくるという前提で、今自分にできることを全力でやるしかない。

 暑いからと、角刈りよりちょっと長い程度に髪を切ったら、急に寒くなった。

 来月中旬、年末から月刊誌で始まる連載小説の取材で青森に行く。

 その前に、週末の神戸新聞杯でコントレイルがどんな走りを見せてくれるか。楽しみなことがあるのは幸せだとつくづく思う。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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