2006年03月14日(火) 23:50 0
2月28日にアメリカ・フロリダ州のコールダー競馬場で行われた「ファシグティプトン・コールダー2歳トレーニングセール」は、総売り上げが前年比24.0%アップの6218万7000ドル、平均価格が前年比18.4%アップの403,812ドルで、いずれもこのセールのレコードを更新。中間価格は前年同様の20万ドルとなったが、前年44.9%だったバイバックレートが今年は32.8%にダウンと、すべからく好調な指標を記録して終わった。
かつて「サラブレッドの宝石箱」と言われたキーンランド・ジュライだって、最後の開催となった02年から遡って20年間で平均価格が40万ドルを越えたのは半分の10回しかなく、わずか10年前の96年に初めて平均価格が10万ドルに乗ったこの市場としては、異例の急成長を遂げたと言ってよいだろう。日本人にとってみると、403,812ドルというのは輸送経費や輸入関税を考えると到着価格にして軽く5000万円を越える値段で、すなわち競走馬協会のセレクトセール(昨年の平均価格3294万円)をも遥かに凌ぐ高額なマーケットとなってしまったのである。
もっとも、今年のこのセールが高くなるだろうというのは、関係者の間で最前から広く囁かれていたことだった。21世紀初頭の低迷を脱し、このところ好調に推移しているのがアメリカの競走馬市場だ。昨年8月のファシグティプトン・サラトガ・イヤリングが平均価格6.5%アップ、9月のキーンランド・セプテンバーが平均価格12.5%アップと、主要イヤリングセールも価格が上昇。当然のことながら、コンサイナーたちが2歳市場で売る馬をピンフックした時の値段も高くなっており、今回のセールでカタログに記載された馬でせり市場をくぐってきた馬の仕入れ価格の平均は13万6738ドル(RNAを含む)に達していた。ちなみに、3月14日に行われた「バレッツ・マーチセール」上場馬の仕入れ値の平均は6万9377ドルだったから、ファシグティプトン・コールダー上場馬はバレッツ・マーチ上場馬に比べれ元値からして倍近く高かったのである。
当然のことながらコンサイナー側の希望小売り価格も高く、最前の予測ではバイバック・レートの上昇が心配されていたのだが、冒頭で記したようにこれが前年を大きく下回ったのは、関係者にとってはうれしい誤算だった。要因は、ひとえに品揃いが良かったことに他なるまい。厩舎エリアで下見をしていても、購買者が一見してオミットするような馬はほとんどおらず、そういう意味ではコンサイナーが非常に良い仕事をしたと言えそうだ。
事ほど左様に、誰もがハッピーに終わったかに見えるこのセールだが、これで北米の市場関係者は当面左ウチワなのかというと、実はそうでもなさそうである。実を言えば、現場で感じた市場周辺の生の雰囲気は、結果として現れた数字ほどポジティヴなものではなかったのだ。
既に各所で報道されている通り、今年のファシグティプトン・コールダーセールは、せり市場における歴代のワールドレコードが樹立された。1回目の公開調教で1F=9秒8の最速時計をマークした父フォレストリーの牡馬を巡って、クールモアとシェイク・モハメドという2大巨頭が譲らず、最終的にクールモアが購買を決めた時には1600万ドル、日本円にしておよそ19億円という、途方もない金額に達していたのである。
ハンマーがノックされる直前、オークショニアのウォルト・ロバートソンが「他に手を挙げる方はいませんか」と声をかけて場内の爆笑を誘っていたが、クールモアとシェイク・モハメド以外にとっては異次元の世界に属する、まったくもって非現実的な金額での攻防となったのである。
で、非現実的な世界は非現実的な方たち同士でせめぎあってもらうとして、それでは現実的な世界にのみ目を向けると、市況はどうだったのだろうか。たった1頭の1600万ドルホースを除くと、総売り上げは4608万7000ドルとなり前年比8.1%のダウン、平均価格は301,222ドルとなり前年比11.67%のダウンとなるのである。
バイバックが少なかったから良くは売れたのだが、思ったほど高くは売れなかったというのが、現実の世界の実情だったのである。2月初旬のOBSコールダーも予想外の低空飛行だったことを考えると、北米市場の先行きはそれほど明るいとは言えなさそうである。
日本人によると見られる購買は、前年を上回る21頭。日本人購買馬の詳細については、今後のバレッツ・マーチ等における購買馬と合わせて、後日お伝えしたい。
合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。