繁殖引退のオースミハルカ 生まれ故郷で送る第三の馬生(1)

2021年12月07日(火) 18:00

第二のストーリー

オースミハルカの近影(提供:Y.Hさん)

実は意外とあまのじゃく?

 今年21歳のオースミハルカは、2021年5月11日にレイデオロとの間に牝馬を出産した。2019年、20年とルーラーシップをつけたものの、2年連続して産駒が生まれず、3年振りのお産だった。その子が離乳して最後の子育てを無事に終え、繁殖を引退。生まれ故郷であり繁殖生活を続けてきた鮫川啓一さんの牧場でそのまま余生を過ごすこととなった。

 オースミハルカは、2000年4月2日に北海道浦河町の鮫川啓一さんの牧場で生まれた。父フサイチコンコルド、母ホッコーオウカ、母父リンドシェーバーという血統だ。母系を辿ると岩手県の小岩井農場が1907年にイギリスから輸入した20頭のうちの1頭であるフロリースカップに辿り着く。フロリースカップの子、第九フロリースカップからスターリングモア、第三スターリングモアと連なる系統からは、トサモアー(父トサミドリ)が阪神3歳S、神戸盃の重賞を制し、桜花賞と菊花賞で2着に入る活躍を見せた。

「トサモアーは牝馬ながら体が大きく、2人引きしなければならないほどパワーがあったと聞いています」と鮫川啓一さん。

 この母系は日本において古い血脈ではあるが、昨今は大阪杯を制したレイパパレを輩出。今なお活力を失ってはいない。ちなみにハルカの母ホッコーオウカはトサモアーの孫にあたり、ハルカのほか、2006年と2008年に新潟大賞典優勝のオースミグラスワンを出して、繁殖馬として成功を収めている。

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母ホッコーオウカ(提供:Y.Hさん)

 オースミハルカは山路秀則さんの所有馬となり、栗東の安藤正敏厩舎から2002年8月に札幌競馬場の2歳新馬戦でデビューし、見事初陣を飾った。2歳時は新馬戦を含めて5戦2勝。その中には、GIの阪神JF7着も含まれている。3歳時は桜花賞トライアルのチューリップ賞で1番人気のスティルインラブをクビ差退け、桜花賞の切符を掴んだ。クラシックの桜花賞(6着)、オークス(10着)には手が届かなかったものの、札幌のクイーンSではハナを切り、圧倒的1番人気のファインモーションをクビ差凌いで、2つ目の勲章を手にした。

 その後、しばらく勝ち星から遠ざかっていたが、翌年再びクイーンSに出走して前年同様逃げ切り勝ちを収めると、続く府中牝馬Sも連勝。勢いに乗ったオースミハルカは、エリザベス女王杯でもアドマイヤグルーヴの2着に入った。翌2005年は勝ち星こそなかったが、エリザベス女王杯ではスイープトウショウの2着と十分に存在感を示した。ディープインパクトがハーツクライに敗れた有馬記念15着ののち、2006年1月の京都牝馬S8着を最後にターフに別れを告げた。通算成績は22戦6勝で重賞4勝という立派な成績だった。

 オースミハルカが現役競走馬の時代、何度か栗東トレーニングセンターで取材をしたことがある。今回コラムで取り上げるにあたって、当時の記事を読み返してみると、主戦だった川島信二騎手がクイーンSに勝った時にハルカにお礼を言いに行ったら、いきなり噛みつかれそうになったり、担当の厩務員さんが引き運動をしてるといきなり引っ張られて、腕が抜けそうになったことが何度もあったりと、人間にはかなりきつい馬だったというエピソードがたくさん記されていた。またうるさいハルカを落ち着かせるための策として、試しに他の馬を前に置いたら落ち着いたことから、それ以来常に調教パートナーが必要だったり、牝馬同士の重賞出走時ゲート裏で顔見知りの馬を見つけるとそのそばに寄っていったりというエピソードも懐かしく思い出され、取材した時の記憶が昨日のことのように蘇ってきた。

第二のストーリー

2004年府中牝馬S出走時のオースミハルカ(撮影:下野雄規)

「相棒馬が常にいて調教場所にいくという話は聞いていました」と鮫川さんも、調教パートナーについては伝え聞いていたという。

「でもね、この子は意外にあまのじゃくなところがあって、放牧地で集団の時には何頭かの仲間と一緒にいるタイプではないんですよ。だからと言って1頭ではダメなんです」

 そしてハルカの兄弟たちに共通しているのは、厩舎の外に一歩出た時に、自分が先頭を切りたくはないということだった。誘導してくれる調教パートナーが、ハルカには必要だったというのも、腑に落ちた。

「母のホッコーオウカもそれがすごく強かったんですよね。さみしがり屋の気質でね。だから人嫌いというわけではないのでしょうけど、でもやっぱり人間はいやよみたいな面がありました。ハルカもそういうところがありますね。食い意地が張っていることもあって、競馬を引退したばかりの頃、ご飯をつける時に腕をガブッと齧られたこともありましたよ(笑)」

 鮫川さんから聞くハルカのエピソードは、競走馬時代に厩舎スタッフや主戦騎手から聞いた話と重なる部分が多く、牧場でも競走馬時代でも馬の気性的なものは変わらないのだろうなと思った次第だ。

(つづく)

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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