バレッツ・マーチ2歳トレーニングセール回顧

2006年03月28日(火) 23:50 0

 3月14日にカリフォルニアのフェアプレックスパークで行われた「バレッツ・マーチ2歳トレーニングセール」は、総売上げが前年から微増の1436万1000ドルにのぼったの対し、平均価格は前年比5.4%ダウンの154,419ドル、中間価格は前年比15.8 %ダウンの8万ドルと低迷。一方、前年39.3%だったバイバックレートが、今年は33.1%に改善されるという、いささか複雑な市況を残して幕を閉じた。

 中間価格の下落が平均価格の下落を上回ったということは、中間以下の価格帯で需要が薄かったことを意味する。こういう市場では通常、バイバックレートが上昇するものだが、今年のバレッツはこの指標が大幅な改善を見せた。すなわち、カタログは悪くなく馬の出来もまずまずで、バイヤーの数は充分にいたのだが、彼らの財布の紐は固く、これを敏感に察知したコンサイナー側が控えめのリザーヴを設定。売買の成立した馬は多くなったが、販売額は伸び悩んだということなのだろう。実はこれ、平均価格は上がったが、中間価格は前年並みで、バイバックレートが下がった、2月末のファシグティプトン・コールダーセールと、市場の構造としては極めて似かよっている。更に、2月上旬のOBSコールダーも「平均価格微増、中間価格大幅下落」という市況だったから、つまりは今年の北米の2歳市場は、そういう流れが出来ているのであろう。

 また、ファシグティプトン・コールダーが、高い価格帯における派手な争奪戦によって、全体の市況は前年を上回るものになったのに対し、値段が上の方のマーケットも市況全体を引っ張りあげるほど強くはなかったのがバレッツ・マーチであった。トップエンドのマーケットは確かにプレイヤー不足で、まずは2月に亡くなった大馬主ロバート・ルイス氏の不在は大きな穴となったようだ。また、1回目の公開調教には顔を見せたシェイク・モハメドの代理人ジョン・ファーガソン氏もセール当日は姿がなかったし、クールモアの代理人デミ・オバーンは、会場にこそ足を運んだものの購買は1頭もなかった。

 それでも、2週前のこのコラムで記したように、ファシグティプトン・コールダーの市況が、トップロットの1600万ドルを除くと平均価格が10%以上のダウンとなったのに対し、バレッツ・マーチの平均価格の下落は5%台にとどまったのだから、市場の評価としては、まずまず健闘したと言って良いのではないかと思う。

 最高価格馬は、セール終盤に登場した上場番号177番のディストーテッドヒューモアの牡馬。フォーティナイナーの直仔である父は、03年に2冠馬ファニーサイドを輩出して一躍名を馳せた種牡馬だが、05年もトラヴァーズS勝ち馬フラワーアレイを筆頭に3頭のG1が誕生。北米のトップサイアーとして押しも押されぬ地位を築き上げた馬だ。馬体は明らかなダート向きに見えたが、目立った姿勢欠点はなく、母の父ストームキャトの印象も窺い知れる雰囲気をもった馬だった。1回めの公開調教で、抜群の動きで1F=10.2秒をマーク。父のディストーテッドヒューモアを繋養するウィンスター・ファームが、150万ドルで購買した。

 日本人によると見られる購買は7頭で、平均価格は13万8571ドル。前年は5頭を平均30万6000ドルだったが、このうち100万ドルで購買された1頭はアメリカで競馬をするための購買で、日本向きに限れば昨年の購買は4頭を平均13万2500ドルだった。従って今年の日本人購買は、質量ともに前年を上回るものとなった。ファシグティプトン・コールダーの回顧の時にも記したが、日本人購買馬に関する個別の解説は、他の2歳市場の分の合わせて、改めて機会を設けて行いたいと思っている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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