2022年03月22日(火) 18:00
プリサイスエンド一周忌の祭壇(提供:ノーザンレイク)
プリサイスエンドが天国へと旅立って、1年が経った。一周忌となる3月18日にはプリサイスの遺影は全国から贈られてきた美しい花々に囲まれていた。
プリサイスエンドの最期を看取った1人として、どんな馬だったのか、何が原因で命を落としたのかをコラムにしたためようと思っていた。だが死因究明のための解剖結果がなかなか出なかったこともあり、タイミングを逸して時が流れた。
その間、地方競馬では金沢で2021年の二冠馬となったアイバンホー(牡4)やサブノタマヒメ(牝4)が活躍。JRAではタヤスゴールド(牡3・オープン)がクローズユアアイズ(牝3)が新馬勝ちを収め、プリサイスエンドの種牡馬としての存在感を示してくれたと思っている。
筆者が関わる引退馬の預託牧場・ノーザンレイク(北海道新冠町)にプリサイスエンドがやって来たのは、2020年10月20日だった。種牡馬を引退して認定NPO法人引退馬協会の所有となり、早来の乗馬施設で去勢された後にノーザンレイクの預託馬となった。去勢の影響で体の肉はすっかり落ちていた。その体を回復させて、健康状態に問題がなければ、翌年春には鹿児島のホーストラストに移動の予定であった。だがプリサイスエンドは、慢性のフレグモーネを抱えていた。
慢性化したフレグモーネをいつも洗い場でケアしていたという(提供:ノーザンレイク)
後ろ脚の球節を中心に太くなっており、元の状態に戻ることはないと言われていた。移動してきてからも脚が腫れて熱発し、獣医の世話になった。熱発がなくても、脚を腫らすことが幾度かあり、そのたびに獣医師を呼んで抗生剤を注射、投薬を施された。そんな病を抱えながらも、いつも食欲があって、イライラするところも見せず、穏やかに過ごしていたように見えた。少したりとも残さず食べようとしていたのか、飼い葉桶の底には歯でガリガリこすった跡が無数についている。それほど食いっぷりも良かった。夜飼い後のおやつタイムでは、大好きな人参をボリボリ音を立てて美味しそうに食べていた。
耳が小さく目がつぶらで、表情が可愛かった。3頭いる牝馬(現在は4頭になったが)たちからも、いつも注目の的だった。フレグモーネが再発しないよう、毎朝ケアをしてから放牧地に向かう。先に放牧されいた牝馬3頭が、プリサイスが道路を挟んだ向かいの放牧地に歩を進めると、一斉に走り寄ってきて、柵越しに熱い視線を送っていたこともしょっちゅうだった。
向いの放牧地にいるプリサイスエンドに熱い視線を送る牝馬たち(提供:ノーザンレイク)
牧場猫とも特別な関係を築いていた。2020年7月15日に茨城県から新冠町に移動してきた3日後に突如現れたその猫は、仲間に入れてくれとばかりに真正面からこちらを見上げてニャーニャーうるさいくらいに鳴いた。毎日こうした直談判が続き、こちらが根負けする形で猫は家族になった。ノーザンレイクのフェイスブックで猫の名前を公募した結果、メトと名付けられた。(アイヌ語の猫→メコ、アイヌ語の湖→トーの組み合わせ)。
メトは最初から異常なくらい人懐っこく、馬がいても平気で馬房に入り込んで片隅で寝ていたり、厩舎慣れもしていた。プリサイスがノーザンレイクに到着してすぐに放たれたパドックの柵に、いきなりメトが上がって見下ろしていた光景は印象的だった。ほかにもプリサイスの馬房の裏戸近くに座っていたり、洗い場で脚のケアをしてもらっているプリサイスのそばにいたり、スマホで撮影した画像や動画にはメトがよく映り込んでいた。牝馬たちもメトを邪険にはしていなかったが、プリサイスに比べて性格がきつかったり、落ち着きがないせいか、そばにベッタリといることはなかった。
プリサイスエンドが到着した当日からじっと見つめていたメト(提供:ノーザンレイク)
前回のコラムでも紹介したと思うが、極めつけは洗い場に繋がれていたプリサイスの背中にメトが乗り、そのまま馬房まで帰ってきたことだ。揺れる背中の上でメトがうまくバランスを取りながら、厩舎へと入っていく動画はTwitter等でも反響があった。プリサイスもまたバタつきもせず、静かに歩いていくのだから大したものだ。動画を撮影しながら、思わず笑顔になっていた。牝馬たちの背中には一度も乗ったことのないメトにとって、プリサイスはよほど安心できる存在だったのだろう。
プリサイスエンドの背中にちょこん…と座るメト(提供:ノーザンレイク)
馬着を着せ替えたあとも、また背中に乗るほどお気に入りのご様子(提供:ノーザンレイク)
2020年から2021年にかけては、気温も低く、かなり厳しい冬だった。だがいつ再発するかわからないフレグモーネを抱えながらも、プリサイスはそれなりに元気に過ごしてくれていた。雪が積もると放牧地での運動量が少なくなるので疝痛が怖かったのだが、幸い一度も起こすことはなかった。体もだいぶふっくらしてきて、あばら骨も目立たなくなっていた。ただ抗生剤を多用していたこともあり、下痢がなかなかよくならず、整腸剤のビオスリーを投与していた。獣医師とも相談しながら投与量を増やして、やっと下痢が収まったのは2021年3月に入ってからだっただろうか。この時は、本当にホッとしたのを今でもよく覚えている。
それと前後して、フレグモーネの継続的なケアが必要なため、ノーザンレイクにそのまま預託をしていただけることが決まった。同時に引退馬協会のフォスターホースとなり、里親(フォスターぺアレント)の募集が開始された。
プリサイスとこれからもずっと一緒に過ごしていけるし、メトとの名コンビの様子も、もっと写真や動画に収められる。素直に嬉しかった。だがその喜びも束の間、別れはもうすぐそばまできていた。
(つづく)
▽ ノーザンレイク Twitter
▽ 認定NPO法人引退馬協会
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佐々木祥恵
北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。
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