20歳の若手騎手がグランドナショナル制覇

2006年04月11日(火) 23:50

 世界各国の競馬の中でも最もたくさんの人が見るレース、障害競馬の祭典の「グランドナショナル」が、4月8日に英国のエイントリー競馬場で行われた。

 今年、人気オッズ6.0倍で1番人気を分け合ったのは、ヘッジハンター(セン10歳)とクランロイヤル(セン11歳)の2頭だった。

 ヘッジハンターは、70年代の伝説の名馬レッドラム以来32年振りとなる連覇の偉業がかかった、昨年のこのレースの優勝馬である。今季もここまで4回使われ、2月12日にレパーズタウンで行われたG1ヘネシーコニャックGC・2着、前走3月17日にチェルトナムで行われたG1チェルトナムGC・2着と、まずは文句の付けようがない成績でビルドアップされてきた。

 一方のクランロイヤルは、過去2年続けてこのグランドナショナルで悲運の敗戦を喫していた馬だった。まず04年、最後から数えて5番めに障害を飛越した際に、鞍上のクーパー騎手がステッキを落とす失態を犯し、ゴール前でアンバーレイハウスとの叩き合いに敗れて2着と涙を飲んだ。続く05年は、2周目のビーチャーズブルックに差しかかったところでカラ馬2頭が目の前を急激に斜行。行き場を失ったクランロイヤルはコースアウトを余儀なくされるという、これもまた悔やんでも悔やみきれない結末に終わったのである。こちらも前走3月12日にマーケットレイズンで行われた一般戦を勝ち上がり、まさにここに照準を絞ったローテーションで臨んでいた。

 3度目の正直で臨むクランロイヤルには、ドーヴァー海峡の向こう側からも熱い声援が送られていた。1953年のモントレブラン以来53年振りとなる、フランス産馬による優勝がかかっていたからである。更に、手綱を握る障害の第一人者トニー・マッコイ騎手にとっても、待望久しいグランドナショナル初制覇の夢が乗せられていた。すなわち、実力的にも心情的にも、ヘッジハンターとクランロイヤルのどちらかが勝つべきレースと見られていたのが、今年のグランドナショナルだったのである。

 それだけに、出走40頭中完走は9頭というサバイバル戦が展開された末に、レース最終ステージに至ってこの2頭がいずれも先行馬群に取り付いてきた時には、エイントリーはおおいなる盛り上がりを見せたのだった。ところが、最終結末はファンの期待とはわずかに異なるものとなった。結果は、ヘッジハンターが2着で、クランロイヤルは3着。勝ったのは、単勝オッズ12倍で5番人気に推されたナンバーシックスバルヴェルデ(セン10歳)だった。

 ナンバーシックスバルヴェルデは、昨シーズンのアイリッシュ・グランドナショナルを制している実力馬である。その割りに下馬評が高く無かったのは、エイントリーのコースを走るのはこの日が初めてだったため。のみならず、鞍上のナイオール・マッデンは弱冠20歳という若手で、彼もまたグランドナショナルはこれが初騎乗となる乗り役だったのである。その新参者が、昨年の優勝騎手ルビー・ウォルションや、スーパースターのトニー・マッコイを向こうに廻して堂々たる勝利を収めたのだから、ファンのみならず関係者もおおいに驚かされることになった。

 ナイオール・マッデンの父、ナイオール・マッデン・シニアも往年の名騎手。「1周目は死んだふりをしていろ」との、父の教えを忠実に守る騎乗で掴んだ栄光だった。

 アイルランド調教馬の優勝は、昨年のヘッジハンターに次いで2年連続で、ここ7年で4回目のこと。アイルランド産馬の優勝となると、これで5年連続で、ここ8年で7回目のことと、英国競馬最大のレースはすっかり隣国アイルランドに席巻された形となった。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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