2022年08月16日(火) 18:02 207
▲辛かったJRA騎手免許試験を振り返ります(c)netkeiba.com
ミルコ騎手がJRAの騎手免許を取得してから7年が経ちましたが、一度目の試験は1次試験で不合格となっていました。当時のミルコ騎手は既に日本のGIを9勝しており、ファンの誰もが待ち望んだ通年騎乗でしたが、まさかの不合格。今回はそんな辛い当時を振り返ります。
馬に乗らずに勉強漬けだったという3カ月間、凱旋門賞を諦めてまで挑んだ試験に落ちてしまったと知った時は、“来年にもう一度”とは考えられなかったと言います。そんなミルコ騎手は翌年の試験で見事合格するわけですが、何故もう一度受けることを決意できたのでしょうか?そこには変わらない日本のファンからの声援がありました。
(取材・構成=森カオル)
ミルコ ああ…。思い出したくない(苦笑)。
──やはりつらい思い出?
ミルコ そうですね。だって、受かると信じて日本にきて、一生懸命勉強して…。最初は、「来年もう一回受けてみよう」とはまったく思えなかった。試験の3カ月前に日本にきたんだけど、最初は栗東で調教には乗れるっていう話だったんですね。でも実際は、一度も栗東(トレセン)に入らなかった。競馬はもちろん、馬にも乗れずに、ずーっと勉強だけしている3カ月でした。
あの年の凱旋門賞に乗る話もあったけど、試験勉強があるからそれもあきらめて。心が折れたどころじゃないよ。もっともっと傷ついた。なんで落ちたのか…それは僕にもわからないね。
──大嫌いな勉強と向き合った3カ月だったんですね。
ミルコ 勉強は昔から大っっっ嫌いだけど、日本の免許を取るために一生懸命でした。100%どころじゃない、110%、120%くらい頑張った。もちろん、いろんな人に助けられながらだけど、「これ以上、僕に何ができる?」っていうくらい頑張りました。だから、これでパスできなかったとしても、これ以上はできないと思った。できないとしたら、次も絶対にパスできない。120%頑張ったからこそ、もう一回チャレンジしようとは思えなかった。
──教材のテキストは英語ですか?
ミルコ そう、英語でした。僕、イタリア人だから、英語も簡単じゃないですね。「喋れる」ことと「読める」「書ける」はちょっと違います。本当に思い出したくない3カ月・・・
ミルコ・デムーロ
1979年1月11日、イタリア生まれ。弟のクリスチャン・デムーロはイタリアのジョッキー。1997年から4年連続でイタリアリーディング。1999年に初来日。2003年、ネオユニヴァースの皐月賞でJRAGI初制覇。続くダービーも制し、外国人ジョッキー初の東京優駿制覇。2015年3月1日付けでJRAジョッキーに。