2022年10月11日(火) 12:00
歴史的名牝ウオッカをはじめ、種牡馬としても活躍中のエピファネイアやルーラーシップ、国外でも活躍したヴィクトワールピサやデルタブルースなど、数々の名馬を管理してきた角居勝彦元調教師。2021年に調教師を早期引退すると、家業を継ぐとともに地元・石川県で引退馬支援の活動を開始した。調教師として多くの馬と触れ合い、多くの夢を掴み取った名伯楽の目には、今、どのような第二の夢が映っているのだろうか──。
今回は石川県の能登半島で過ごす角居さんに、自身の掲げる引退馬支援への想い・ビジョンを伺ってきた。
取材協力: 角居 勝彦(みんなの馬株式会社 COO) 一般財団法人ホースコミュニティ タイニーズファーム
文:秀間 翔哉
デザイン:椎葉 権成
協力:緒方 きしん
取材・監修:平林 健一
著作:Creem Pan
いわば「アスリート」として洗練されて気が立った状態だった馬を、元来、彼らが持っているニュートラルな好奇心の強さや人との親和性の高さが優位になるような状態に戻してあげることで、もう一度人との接点を創出できる。実際にタイニーズファームの馬たちは、ふれあい体験で子どもたちに曳き馬をしてもらったり、牧場の近くにある鉢ヶ崎海岸のゴミ拾い活動へ参加するなど、地域住民との関わりを積極的に行うことで人との交流の機会を増やしている。
子供たちの曳き馬体験(株式会社Creem Pan)
海岸ではリクエストがあれば、観光客や地域の子どもたちを馬に乗せたまま海に入ったり、尻尾を掴んだまま泳いでもらったりと、ちょっとした非日常的な遊びを体験してもらっている。小さな子どもたちの中には、馬を見つけて「お馬さんだ!」と近くまで駆け寄って来るものの、その大きさに固まってしまう子もいるそうだ。
海岸近くに設置された各トレッキングの案内(株式会社Creem Pan)
「乗るか聞いても『乗らない』って(笑)。それでも馬が海の中に半分くらい浸かってしまうと、浮き輪で泳ぐ子供たちと目線の高さが合うので怖さが無くなるみたいです。そこでもう一度乗ってみるか聞くと、乗ってくれたりしてね。そうやって少しずつでも、馬との関わりが増えてくれたら良いなと感じています」
土日には観光客も多いため海岸にいることが多いが、それ以外の日は活動の規模を大きくしようと、新しく馬を預けられる牧場を作る動きを進めている。現在は、地域全体に馬が馴染んでいくような風景になるように珠洲市と協力しながら環境を整えているところで、ビジネスとしてはまだまだ種蒔きの段階だ。今取り組んでいる地域住民との交流活動の他に、きちんとした住民説明会も開かなければいけない。ただ、ハードルはまだまだあるものの、意外にも想定していたほどの抵抗感はないと感じているのも確かだ。
しかし、この取り組みそのものが実験的な要素が多いこともあって、まだ大きな手応えが得られているわけではない。引退馬の“その後”について興味を持つ人が増えていることはわかっているものの、そのような人たちからの寄付金だけでこのような活動がずっと続くわけではないとも思っている。
「やはり馬が自立してお金を稼ぐというプログラムをつくらなければいけません。観光業では今までもそれぞれやっていたと思うのですが、それすらこぼれてきている馬たちがいるので、それ以外にどんな役割を作ってあげられるかを考えていく必要があります。そして、それをお金に変えられるのかというのも大きな課題です」
それでは一体、そのような馬たちに何ができるかと角居さんに聞くと「草食ってうんこするくらい」と冗談まじりに笑う。しかしその馬糞は、草が腸内微生物の働きによって簡単な発酵が進んだような状態であるため、堆肥としての活用が可能だ。これが牛のように反芻をする動物では糞の臭いも取れにくいのだが、馬の消化系統は一つの簡単な流れであることから、臭いもそこまでキツいことはなく、含まれる栄養価も高い。そこで角居さんは、馬とその糞が害にならないということを地元の方々に知ってもらうための取り組みとして、馬糞に水と「バクチャー」と呼ばれる微生物の活性剤を入れて、空気を送ることで、臭いが少なく微生物も多く含まれた有機肥料の開発に着手している。この取り組みには、近隣のお米農家の方も興味を持ってくれているという。
タイニーズファームに設置された、有機肥料の開発機器(株式会社Creem Pan)
また、草を食べている姿を見るだけで心が癒されるという人もいることからメンタルケアにも繋げることができないかなど、馬たちが自らの力でお金を生み出していくための様々な道を模索している。例えその背中に人を乗せなくても、耕作放棄地の草刈りから始まり、さらにそこから出てくる馬糞は農家の肥料として循環するというような形で経済活動に参加できる……という仕組みを構築していけるのが理想だと、角居さんは語る。
「当然、私自身も馬が農産物という認識が全くないわけではないので、屠畜ということについては必ずしも悪ではないとは思っています。しかしサラブレッドが競走馬として生まれてきたのであれば、彼らに向けた努力はギリギリのところまでしたいんです」
奥能登だけで少なくとも100頭程度は面倒を見られる環境を作っていきたいと語る角居さん。そのためにはスタッフも増やさなければいけないし、そのスタッフが生活するだけのお金も生み出していかなければならない。角居さんの思い描く理想は、乗馬クラブで役を終えた馬たちを1頭月額8万円程度で預かって、それと同じだけの金額をその馬自身が稼げる状態にしていくことだという。東京の乗馬クラブに預託するともっと高額の費用がかかることを考えれば、その馬がその場所で生きていくためには最低限必要な金額と言えるだろう。それでいて、狭い馬房の中に閉じ込められることもなく、伸び伸びと草を食べ続けられるような環境の下で過ごせるのであれば、そう高くはないと言えるのかもしれない。まして東京から能登空港までは飛行機で1時間ほど。能登空港からタイニーズファームまでは車で約40分だという立地を考えれば、軽井沢などに馬を置くこととそこまで大きな差はないのではないだろうか。この「8万円」という金額には、人件費や土地代などは計算されていないため、それらを考慮すれば、倍の16万円を稼ぎ出せる状態にしてあげられることが「理想」なのだと角居さんは言う。
「場所によれば、馬1頭を飼える環境のプライベートビーチ付き一軒家がありますし、現地での生活費も関東近郊と比べれば抑えられるはずです。ぜひ皆さんにそういった場所を確保していただいて、東京で仕事がある時には私たちのところに馬を預けて行ってもらえたらと思います」
【記事監修】引退馬問題専門メディアサイト
(次回へつづく)
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