2023年04月17日(月) 12:00
香港で引退することになった競走馬には2つの選択肢が与えられる。一つは香港に残ってHKJCが提供する引退馬リトレーニングプログラムに参加すること。もう一つは、馬主自身が引退馬を海外に移動させるというものだ。
どちらの場合も、輸入時に支払った10万香港ドルが補助金として支給され、それぞれの費用の一部に充てられる。
(1)引退馬を香港に残す場合
馬主が引退馬を香港に残すと判断した場合について、HKJCの公式サイトでは次のような説明が記されている。
「元の所有者によって輸出されたものを除き、すべての引退馬は、HKJCの獣医によって検査され、次のようなさまざまな引退オプションに対する適合性が評価される。
・レジャー用の乗馬としてBeas River Country Club(雙魚河郷村會所)や乗馬学校に移動。 ・リードホースとしてリトレーニング。 ・中国本土または海外の団体に馬術用またはトレーニング目的で寄付
つまり、オーナー自らが海外に移動させなかった場合、引退馬の行き先はHKJCおよびその獣医師の判断に委ねられることになる。香港では一般による馬の屠殺が法律で禁じられていることもあり、馬を現地に残す場合はHKJCに託すしかないと言えよう。
香港に残った引退馬は、一般的にHKJCが提供するリトレーニングプログラムに参加することになる。
JRAでも、主催者が主導する引退競走馬のリトレーニングプログラムは、馬事公苑や日高育成牧場を拠点として行われている。その内容は(1)心身のリフレッシュ(2〜4週間)(2)人馬の良好な関係構築(2〜4週間)(3)競走馬としての特殊な調教を初期化(4〜8週間)の3段階で、乗用馬への転用を促しているが、こちらも強制力を伴っていない。
HKJCのサイトでは、取り組みの規模を示すように、リトレーニング施設についても詳しく紹介されている。リトレーニングは香港・新界にBeas River Equestrian Center(BREC)が設立された1964年から始まっており、2020年には従化競馬場でも行われるようになった。引退した競走馬は、まずは従化競馬場にある引退馬ユニット(RHU)に移動し、ここで治療や休養などが行われる。その後、BRECのリトレーニングユニット(RTU)に移り、リトレーニングが行われる。これらの費用は、輸入時にオーナーが支払った10万香港ドルが充てられるほか、HKJCが追加資金を提供している。収容可能頭数は従化競馬場のRHUが60頭、BRECのRTUが80頭で、プログラムを終えた馬はそれぞれの用途に合わせ、新たな目的地に移動することになる。
この他、香港のClearwater Bay Equestrian Centre(CEEC)など、HKJCが提携する民間施設でリトレーニングが行われる場合もある。CEECではHKJCのデポジットや基金を活用したリトレーニングのほか、新たなオーナーとのマッチングやリトレーニング終了後の輸出なども行われている。
Beas River Equestrian Center(提供:HKJC)
従化競馬場(提供:HKJC)
(2)引退馬を海外に移動させる場合
オーナーが引退馬を海外に移動させる場合、功労馬などはオセアニアなどの牧場に向かうことが多いが、現役続行可能な馬はマカオなど他の国・地域で再びレースに参加することもある。海外で乗用馬になる馬もおり、さまざまなケースがある。
オーナー以外による移動としては、HKJCの施設でリトレーニングを受けていた馬が、思うようにトレーニングを進められなかった場合に、環境を変えるために提携するニュージーランドのEvent Stars社に輸出して、そこでリトレーニングを行う場合もある。
引退後に海外に移動した香港馬の中から、日本でも知られている功労馬の事例を紹介する。
・サイレントウィットネス(中国語名:精英大師)
1999年オーストラリア生まれ。デビューから17連勝を記録した無敵のスプリンター。2005年には日本のGIに積極的に参戦し、安田記念で3着となり、スプリンターズSで優勝した。連覇を狙った2006年のスプリンターズSは4着で、同年の香港スプリントで引退。引退後はオーストラリア・メルボルン郊外にある功労馬繋養施設「Living Legends」で余生を送る。
サイレントウィットネス号(提供:Living Legends Farm)
・ブリッシュラック(中国語名:牛精福星)
1999年米国生まれ。2005年のチャンピオンズマイルで、デビュー18連勝の記録に挑んだ同厩のサイレントウィットネスを破り、世界的ビッグニュースとなる。同年の安田記念は4着に敗れたが、翌年に再び挑んで優勝。2009年に引退し、ライバルのサイレントウィットネスらとともに「Living Legends」で余生を送る。
ブリッシュラック号(提供:Living Legends Farm)
・エアロヴェロシティ(中国語名:友瑩格)
2008年ニュージーランド生まれ。2014年の香港スプリントを制し、翌年には高松宮記念に海外調教馬として初優勝。2017年に引退し、オーストラリアの「Muskoka Farm」で余生を送る。
エアロヴェロシティ号(提供:HKJC)
JRAでは2021年に5360頭が登録抹消となったが、香港では年間約400頭の競走馬が引退している(2021/22シーズンは415頭、Loveuma.調べ)。その全てが上記2種類の選択肢に沿って余生を送ることになっているが、実際はどうなのだろうか。
主催者発表データに基づき作成
香港メディアの記事を見てみると、引退馬について書かれたものも散見される。
馬を大切にすることで知られた元調教師は香港の総合誌「明報周刊」の記事で、「毎年500〜600頭の馬がデビューするが、これは500〜600頭が競馬場から去ることも意味している。彼らはその後、どこに行くのか。天国に行く馬も多い」と、予後不良になる馬の存在について言及。引退馬を取り巻く状況については「今は引退馬が行く所があるからいいよ。昔は行く所がなくて処分されていたから」と語っている。
香港の動物愛護関係者も有力紙「明報」の記事で「登録を抹消された引退馬は年間400〜500頭いるが、そのうち何頭が死亡したのかは公表されていない。また、引退後に殺処分される馬の数もわからない」と指摘している。
引退や予後不良の判断についても、さまざまな声がある。ある女性オーナーは「明報周刊」の記事で、デビュー戦で愛馬が負傷し、駆けつけた時にはすでに予後不良になっていたエピソードを悲痛な思いで語っている。別の愛馬についても「ケガで引退したので会いに行ったら、連絡もなく安楽死処分となっていた。そのことを質問するとジョッキークラブが判断したと言われた」と明かし、その後は所有馬の引退後の進路について自身で手配するようになったと述べている。
香港ではこのように、主催者のHKJCが競走馬のデビューから引退まで一貫したプログラムを用意し、統括的に管理しているが、立場や考え方によって、引退の取り扱いに対する捉え方はさまざまだ。日本でも引退馬問題に関する絶対的な「答え」は見つかっておらず、その点は似ていると言えよう。
以上、香港の引退馬事情を競走馬の一生に沿ってご紹介した。
輸入登録時のデポジット制度や主催者が用意するリトレーニングプログラムなど、制度面で日本より進んでいる点も見られるが、主催者が積極的に関与するため、引退や予後不良の判断で馬主の意向と合わないことが起きるという側面もある。
日本の場合、国内生産馬が圧倒的に多く、JRAの登録抹消後も地方競馬で現役を続ける場合もあり、デポジット制度を導入しようとしても、香港のように「輸入時に徴収して、引退時に支払う」という形は難しい。
だが、日本で引退馬支援を行う人々の中には、全ての馬に行きわたる年金制度を望む声は多い。引退馬支援の議論では馬主の負担増を懸念する声もあるが、デポジットという形であれば、こうした声も緩和される可能性がある。
引退後の進路についても、香港では全馬を一旦管理し、それぞれに合わせた進路を提供する形を取っているため、この点も日本と大きく異なっている。日本では、上に述べたようにJRAの競走馬登録抹消後の進路がさまざまで、現状はすべての引退馬に目が届くトレーサビリティが確立された環境にはなっていない。
香港のように一元的管理を行えば、デポジットの回収も引退後のトレーサビリティチェックも、どちらもスムーズになり、引退馬支援制度も早く進み、役割分担もはっきりする可能性がある。
ただ、日本には地方競馬もあり馬産も行っているため、引退後の進路は香港よりも幅広い。また、JRAだけでも毎年、香港の約10倍の頭数が登録を抹消されていることから、こうした一元的管理が可能なのかという問題もある。さらには、主催者が積極的に介入することで、オーナーの自由度が減ることも想像される。
主催者の一元的管理の推進か、民間組織がそれぞれのやり方で支援を推進するべきか。無論、それぞれに一長一短があり、二者択一で明確な答えを出すのは困難なことだ。だが、そのような難しい問題だからこそ、ベストを求めて常に思考を続ける必要があるのではないだろうか。
日本の引退馬支援のこれからについて、この記事が議論を深めるきっかけとなれば幸いだ。
(了)
文:ホリ・カケル
デザイン:椎葉 権成
制作:片川 晴喜
画像提供:香港ジョッキークラブ,Living Legends
編集・監修:平林 健一
著作:Creem Pan
【記事監修】引退馬問題専門メディアサイト
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