2023年06月21日(水) 12:00 15
6月に入ってスタートしたJRAの2歳戦は、先週までに19戦を消化。注目のフレッシュマンサイアー・チャンピオン争いは、4頭が出走したうち2頭が勝ち上がったブリックスアンドモルタルが、2番手以下にダブルスコアをつけて、首位に立っている。
アイルランドでは3月25日のカラ競馬場における開催から、イギリスでは4月1日のドンカスター競馬場における開催から、2023年の芝平地シーズンがスタート。アイルランドでもイギリスでも、シーズン開幕当初から2歳戦が施行されており、日本以上に多くの新種牡馬の産駒がデビューを果たしている。
近年になく粒揃いと言われているのが、英愛における今年のフレッシュマンサイアーの顔触れだ。
連覇を果たしたロイヤルアスコットのG1キングズスタンドS(芝5F)を含めて、スプリントG1・4勝のブルーポイント(父シャマーダル)。
2歳時にG1ミドルパークS(芝6F)、3歳時にG1ジュライC(芝6F)を制したテンソヴリンズ(父No Nay Never)。
2歳時にG1フューチュリティトロフィー(芝8F)、3歳時にG1英2000ギニー(芝8F)を制したマグナグリーシア(父Invincible Spirit)、2歳時にG1フェニックスS(芝6F)。
3歳時にG1コモンウェルスC(芝6F)とG1モーリスドゲスト賞(芝1300m)を制したアドヴァータイズ(父Showcasing)。
そして2018年の2歳チャンピオン・トゥーダーンホット(父ドバウィ)と、現役時代はスピードを武器にした馬が多く、それだけに、例年以上にその動向が注目されているのが、今年の英愛におけるフレッシュマンサイアー・チャンピオン争いだ。
予想外と言っては関係者に失礼にあたるが、6月18日の競馬を終えた段階で、こうしたビッグネームを差し置いて英愛フレッシュマンサイアー・ランキングで首位の座にあるのが、ソルジャーズコール(父ショーケイシング)である。
早くも42頭の産駒がデビューした中、11頭が勝ち上がって12勝をあげ、通算で16万6044ポンドの賞金を収得。2位のブルーポイントも、41頭の産駒がデビューしたうち11頭が勝ち上がるという、ソルジャーズコールとほぼ同等の成績を残しているが、通算収得賞金は13万9833ポンドと、ソルジャーズコールに2万6千ポンド以上の差をつけられている。
※18日現在 Racing Postによる集計
メゾンラフィット競馬場のLRラフレッシュ賞(芝1000m)勝ち馬ディジャーヴォの5番仔として、英国で生まれたのがソルジャーズコールだ。タタソールズ・オクトーバー1歳セールのブック2に上場されたところ、8万5千ギニー(当時のレートで約1360万円)で購買され、ランボーンに厩舎を構えるアーチー・ワトソン厩舎に入厩した。
デビューしたのは2歳の5月11日だったから、ソルジャーズコール自身が仕上がり早のタイプだった。ちなみに、母ディジャーヴォのデビューは2歳の3月30日だったから、仕上がり早という形質は母から受け継いだもののようだ。
2戦目にヘイドックパーク競馬場のノーヴィス(芝5F)を勝って初勝利を挙げると、2歳シーズン終了時まで実に8戦を消化。ドンカスター競馬場のG2フライングチルダーズS(芝5F)、シャンティイ競馬場のG3アレンベルク賞(芝1000m)という2つの重賞を含めて4勝を挙げた他、パリロンシャン競馬場のG1アベイドロンシャン賞(芝1000m)では、3歳以上の馬たちに混ざって3着に健闘している。
3歳時は6戦し、G1ナンソープS(芝5F)2着、G1キングズスタンドS(芝5F)3着など、スプリント路線の最前線で活躍したものの、勝ち星を挙げることは出来ず、このシーズンをもって引退。20年にアイルランドのバリーヘーン・スタッドで種牡馬入りし、初年度の種付け料は1万ユーロだった。
22年にイギリスとアイルランドで開催された1歳セールには、94頭の初年度産駒が上場され、このうち86頭が購買されている。最高価格は12万ギニー、平均価格は2万8948ギニーと、価格はさほど高くならなかったが、91%という高い売却率が示すように、マーケットでの評判は悪くなかった。
だが、G1勝ちはゼロという競走成績は、前段で記した同期のフレッシュマンサイアーたちに比べると見劣りすることは間違いなく、それだけに、初年度産駒のここまでの活躍ぶりは、想定以上というのが関係者の一致した見方だ。
昨年のタタソールズ・オクトーバー1歳セールで、父ソルジャーズコール・母マラリカという牝馬が日本人購買者に10万ギニーで購買され、今年1月に日本に輸入されている。注目してみたい1頭である。
合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。