2024年のアメリカの重賞格付けが発表

2023年12月20日(水) 12:00

根本的な問題がどこにあるのかを考える時期

 サラブレッド・オーナーズ&ブリーダーズ協会の分科会である、アメリカ重賞委員会の総会が、14日、15日の両日にわたってケンタッキー州のレキシントンにある本部で開催され、その結果決定された2024年の重賞格付けが、16日に発表された。

 G2から新たにG1に昇格するのが、9月にケンタッキーダウンズで施行される、芝6.5Fの3歳限定戦フランクリンシンプソンSだ。

 同競走は創設が2017年という、まだ歴史の浅いレースだが、第3回の2019年にG3の格付けを獲得すると、さらに2年後の2021年にはG2に昇格と、トントン拍子の出世を重ねてきた。2023年には総賞金が100万ドルに増額され、2歳時にG1BCジュベナイルターフスプリントで3着になった実績があったプライベートクリード(牡3、父ジミークリード)が優勝を飾っている。

 ケンタッキーダウンズがG1競走の開催地になるのは、これが初めてのことだ。

 逆に、2023までG1だった格付けを失い、2024年はG2として施行されるレースは5つもある。

 いずれも3歳以上という競走条件で、2つはダート、3つは芝のレースだ。

 ファンにとって最もショッキングなのは、サンタアニタを舞台としたハリウッドゴールドカップ(d10F)の、G2降格だろう。創設されたのは1938年で、その名称通り、当時の開催地はハリウッドパークだった。第1回競走の勝ち馬は、20世紀の西海岸を代表する名馬の1頭である、シービスケットである。

 その後もハリウッドゴールドカップは、3年早い1935年にサンタアニタを舞台に創設された“ザ・ビッグキャップ”サンタアニタHと双璧をなす、西海岸を代表するダート戦として長く親しまれてきたレースで、歴代の勝ち馬には、スワップス、ラウンドテーブル、ギャラントマン、ネイティヴダイヴァー、アックアック、エクセラー、アファームド、シガーなど、そうそうたる名馬の名が並ぶ。

 1991年にデルマーを舞台としたパシフィッククラシックが創設されると、サンタアニタハンディキャップ、ハリウッドゴールドカップ、パシフィッククラシックが西海岸の古馬3大ダート戦と称され、カリフォルニアを拠点とした馬たちのみならず、東海岸や中部地区の強豪も、チャンスがあれば狙いに行くビッグタイトルとして施行されてきた。

 転機となったのはやはり、2013年のハリウッドパーク閉鎖であったろう。ロサンゼルス国際空港からわずか3マイルという、至便すぎる場所が災いして再開発の波にのまれ、競馬場は閉鎖。レースはサンタアニタに移設して開催が続けられてきたが、近年は西海岸の競馬が相対的に沈滞気味なこともあって、ハリウッドゴールドカップもかつての華やかさを失いつつあったことは確かだった。一時期は100万ドルを超えていた賞金も、2020年には30万ドルまで縮小(2023年は40万ドルに回復)していた。

 出走馬の質が再び向上すれば、G1復帰の可能性もあるのだが、現在の西海岸にそれだけの復元力があるかどうかは、疑問と言わざるをえない。

 同様にして、ニューヨークの競馬関係者やファンにとってショックなのは、アケダクトを舞台としたカーターハンディキャップ(d7F)のG2降格だろう。

 こちらは創設が1895年で、ハリウッドゴールドカップよりも遥かに歴史は長い。創設当初は10F戦だったが、今世紀に入ると距離7Fに定着。こちらも過去の勝ち馬には、トムフール、ボールドルーラー、キングスビショップ、インリアリティ、フォアゴーといった名馬の名が並んでいる。

 近年は、4月にアケダクトで行われるカーターハンディキャップから、6月にベルモントパークで行われるメトロポリタンハンディキャップへというのが、スプリンター・マイラーの王道となっていただけに、早い段階でのG1復帰が望まれるところだ。

 残る3つの降格は、芝のレース。2023年は5月にベルモントパークで行われたマンノウォーステークス(芝11F)、7月にモンマスパークで行われたユナイテッドネーションズステークス(芝11F)、8月にコロニアルダウンズで行われた牝馬限定戦ビヴァリーD.ステークス(芝9.5F)の3競走である。

 昇格が1レースで、降格が5レースということは、2024年のアメリカにおけるG1競走は、2023年に比べて4つ減ることになる。

 G2、G3を含めた重賞競走の総数も、2023年の440から2024年は429と、11競走の減少となった。

 数が多ければよいというものではないが、競馬産業のパイが縮小傾向にあるとすれば、根本的な問題がどこにあるのかを考える時期が来ているようだ。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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