今年は日本馬も参戦 豪州の最強馬決定戦のコックスプレートを展望

2024年10月23日(水) 12:00

有力馬のヴィアシスティーナとは?

 オーストラリアの2000m路線における、春シーズンの最高峰となるG1コックスプレート(芝2040m)が、今週土曜日(26日)にヴィクトリア州のムーニーバレー競馬場で行われる。

 22日に最終登録が行われ、9頭がエントリーを済ませた。調教国別でみると、オーストラリア勢が7頭に、イギリス、日本からの遠征馬が1頭ずつ。オーストラリア勢では、2頭から他国からの移籍組だ。年齢別では、4歳以上が7頭で、3歳が2頭。性別では、牡馬とセン馬が7頭で、牝馬が2頭。少数精鋭ではあるが、バラエティーに富んだ顔触れになったと言えよう。

 実は、先週半ばの段階で、はっきりと出走意思を表明していたのは7頭だったが、その後、頭数が少ないことを見て取って出走に踏み切った馬が2頭いて、最終的には9頭となった。

 予期せぬアクシデントが起きたのが、最終登録が行われ、その後に枠順抽選が行われた、22日の朝の調教だった。ムーニーバレー競馬場では、「ブレックファースト・ウィズ・ザ・ベスト」と銘打ち、朝の追い切りの模様が一般ファンにも公開されていたのだが、事件はその大勢の観客の目の前で起きた。

 同厩馬1頭を従えて芝コースに入った、有力馬の1つであるC.ウォーラー厩舎のヴィアシスティーナ(牝6、父Fastnet Rock)が、最終コーナーを回って直線に向いた瞬間、大きくバランスを崩し、手綱をとっていたJ.マクドナルド騎手が落馬。カラ馬となったヴィアシスティーナが、ようやく係員に確保されたのは、ムーニーバレー競馬場の馬場を2周半以上疾走した後だった。

 躓いた原因は、巻いていたバンテージが緩み、これを自ら踏んでしまったもので、マクドナルド騎手を落として走り去るヴィアシスティーナの足元には、バンテージがひらひらと翻り、見ていたウォーラー調教師は、最悪の事態が頭をよぎったという。

 マクドナルド騎手には、背中に多少の打撲はあったものの、大きな怪我がなかったのは幸いだった。そして、つかまったヴィアシスティーナも、直ちに獣医師による診断が行われたが、出血や目立った外傷はなく、こちらも馬体におおきな損傷がなかったことは、不幸中の幸いだった。

 だが、予定をしていたものよりは、遥かにオーバーワークになってしまったことは確かである。ブックメーカーの中には、同馬のオッズを一気に大きな数字に変更する社も出る事態となった。

 その後、ウォーラー師は会見で、出走することを前提に経過観察をし、最終的には土曜日の朝に意思決定をするとコメントした。

 ヴィアシスティーナは、アイルランド産馬。英国でデビューし、5歳秋まで13戦し、カラのG1プリティポリーポリーS(芝10F)など、2重賞を含む5勝をマーク。昨年のブリティッシュ・チャンピオンズ・デーではG1英チャンピオンS(芝9F212y)に出走し、キングオブスティールの2着となっている。

 その後、12月にニューマーケットで行われたタタソールズ・ディセンバーセールに上場され、張月勝氏の競馬組織ユーロン・インベストメンツ社の代理人に270万ギニー、当時のレートで約5億3874万円で購買され、オーストラリアに移籍した。ここまで5戦し、G1ランヴェットS(芝10F)、G1ウィンクスS(芝7F)、G1ターンブルS(芝10F)と、現地でも既に3つのG1を獲得している。

 ヴィアシスティーナは出走にこぎつけることが出来るか。出来たとして、本来のパフォーマンスを見せることが出来るか。今年のコックスプレートを巡る最大のポイントとなりそうだ。

 ここに日本から、中内田充正厩舎のプログノーシス(牡6、父ディープインパクト)が出走する。

 GI勝ちの実績こそないものの、香港のG1クイーンエリザベス2世C(芝2000m)で、2年連続してロマンチックウォリアーの2着になっており、格という面でも、海外遠征の実績という面でも、ここで充分に戦えるたけのものを備えた馬だ。基本的には末脚勝負をこの馬を、直線が173mしかないムーニーバレー競馬場で、いかにして乗るか、D.レーン騎手の手綱さばきも注目の的である。

 この他、G1・7勝馬で、昨年のこのレースが2着だったミスターブライトサイド(セン7、父Bullbars)、オーストラリアにおける昨シーズンの年度代表馬プライドオブジェニ(牝7)らが有力視されているコックスプレートの馬券は、日本でも発売される予定。またレースの模様は、グリーンチャンネルで放送予定となっている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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