松本幸祐騎手との突然の別れ「幸祐がまだそこにいるような気がして」──“いつも一緒にいた弟弟子”への思い

2025年01月21日(火) 18:01 264

太論

▲14日に開催された園田競馬において、松本幸祐騎手を悼んで黙とうが行われた(撮影:稲葉訓也)

1月13日、月曜日。調教中の落馬事故により、兵庫県競馬所属の松本幸祐騎手が亡くなりました。享年43歳。松本騎手は小牧騎手の弟弟子で、小牧騎手が古巣に戻ったことを誰よりも喜び、尊敬する大先輩との日々を心から楽しんでいた矢先の事故でした。後輩の突然の死に「全然ピンとこない。実感が湧かないねん」と話す小牧騎手。今回の『太論』では、松本騎手の人柄と思い出、そして現在の偽らざる思いを語ってくれました。

(取材・構成=不破由妃子)

大怪我を何度も乗り越え「やっと楽しくなってきた」と言っていたのに…

──昨日(19日)、1月13日に亡くなった松本幸祐騎手の葬儀・告別式が執り行われたそうですね。

小牧 うん。告別式には、500人近い人たちが参列してね。あんなに盛大な式は初めてやった。僕だけは火葬にも立ち会って、そのあとの初七日の法要にも参列して。

──小牧さん、弔辞を読まれたんですか?

小牧 いや、僕は辞退しました。絶対に泣いてしまうから…。結局、あの日は一度も涙が出なかったわ。周りはみんな泣いていたけど、どうもまだピンとこなくて。まだそこにいるような気がしてね。全然実感が湧いてこうへんねん。

──移籍して以降の約4カ月間、ほとんど毎日一緒にいるのが当たり前の人でしたから。

小牧 そうやね。ただ、幸祐の話をしようとすると涙が出る。14日のメインを勝ったときもね、「表彰式で絶対に聞かれるやろうなぁ、嫌やなぁ」と思ってた。案の定、涙が込み上げてきて、言葉に詰まってしまったもんね。

──幸祐さんは、2002年に曾和直榮厩舎からデビュー。小牧さんが中央に移籍したのが2004年ですから、短い期間ではありますが、兄弟子として同じ厩舎で過ごしていたんですよね。

小牧 当時から一緒にご飯を食べたりしてたよ。幸祐は当時、下手くそでねぇ。なかなか乗れんやろうなと思っていたけど、20年ぶりに見た幸祐は、調教でしっかり乗れるようになっていて。僕はよく知らんのやけど、大怪我を何度も乗り越えて、「やっと楽しくなってきた」って本人も言っていたのに。

──小牧さんが戻ってきたことも本当にうれしそうでした。幸祐さん、誰よりも喜んでいましたよね。

小牧 そうそう。どうやら、僕のことが自慢やったみたい。幸祐がそんなんやから、こっちも余計にプレッシャーが掛かって、「ちゃんと乗らなアカンな」といつも思わされた。僕が勝つと、「幸祐が『さすが太さんやね』って言ってましたよ」っていろんな人から聞かされたわ。

──私も昨年の秋に幸祐さんとお話する機会があって。エコロクラージュで勝った兵庫ゴールドカップの話になったんですけど、「あれは太さんにしかできない競馬です。すごい人なんですよ、太さんは」と、終始ニコニコしながらも熱っぽく語ってらっしゃいました。あのときの幸祐さんの表情が忘れられないです。

小牧 そういうことをね、いろんなところで言ってたみたい。それにしても、あっけないもんやなぁ。まだ生きてる気がしてしょうがないわ。先週は調整ルームの自分の部屋でひとりで鍋を食べたんやけど、いつも幸祐と一緒に食べていたから、まだそこに幸祐がいるような気がしてね。いつもみたいに横で寝転んでるんじゃないかって。そうそう、突然テレビが消えたんやわ。思わず「お、幸祐きたんか」って言ってしまったんやけど、そう言った途端、今度はテレビが勝手についた。あれ、絶対に幸祐が飯を食いにきとったんやわ。

──幸祐さんのイスがまだ小牧さんの部屋にあるそうですね。

小牧 そう、小さいイスがね、そのまま置いてある。たぶん、幸祐自身、自分が死んだことにまだ気づいてないんちゃうかな。

──そうかもしれませんね。さて、今回は調教中に起きた不慮の事故でしたが、小牧さんは一部始終を見ていたんですか?

小牧 僕は100mくらい後ろから見ていたんやけど、外から厩舎のほうに帰ろうとしている馬が暴れ出して、併せ馬をしている2頭に突っ込んで行った感じやね。中央のトレセンと違って、馬場が狭いでしょう。だから、走る音とか鼻息とか、とにかく音がすごいんですわ。そういう音を怖がる馬も多いから、引き上げていくときは、いつもみんな気を付けてるんやけどね。

──なるほど。本当に日常のなかで起こってしまった事故だったんですね。

小牧 そうやね。今、一生懸命対策を練っていて、外ラチの外側に帰る馬専用の道を作ろうかって提案しているところ。なんせ土地がないんやけど、できることは全部やりたい。

──さて、今週からは姫路競馬が始まります。

小牧 うん。移動があるぶん、疲れるやろうなぁ。でも、頑張らなね。僕には一生懸命乗ることしかできないから。

太論

▲「僕には一生懸命乗ることしかできない」喪章を付けて騎乗した小牧騎手(撮影:稲葉訓也)

太論

▲ファンや関係者をはじめ、多くの人に愛された松本幸祐騎手を追悼するため、園田競馬場に設置された献花台(撮影:稲葉訓也)

(文中敬称略)

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小牧太

1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。2024年には再度園田競馬へ復帰し、活躍中。史上初の挑戦を続ける。

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