2025年02月26日(水) 12:00 17
「チェルトナム・フェスティバル」2日目の3月12日に組まれたG3グレンファークラス・クロスカントリーチェイス(芝30F37y)で、レース史上2頭目となる3度目の優勝を目指していた古豪デルタワーク(セン12、父ネットワーク)が、20日(木曜日)、疝痛の発作のため急死するというショッキングなニュースが聞こえてきた。
フランス産馬で、ハードルで重賞入着実績のあるキャップヨークの半弟にあたるのがデルタワークだ。祖国で平地を2戦し1勝をあげた後、アイルランドの主要馬主マイケル・オリーリー氏の競馬組織ギギンズタウンスタッドに購買され、16/17年シーズン終盤から、アイルランドのトップトレーナー、ゴードン・エリオット厩舎に在籍することになった。
ハードルを9戦し、チェルトナム競馬場のG3ファイナルハンデキャップハードル(芝23F213y)を含む2勝、G1アイリッシュミラーノービスハードル(芝24F)2着などの実績を挙げた後、18/19年シーズンからスティープルチェイスに転身した。
すると、スタミナ豊富で飛越の巧みなこの馬の資質が開花。いきなり、フェアリーハウスのG1ドリンモアノービスチェイス(芝20F)、レパーズタウンのG1ネヴィルホテルズノービスチェイス(芝24F)という2つのG1を含む3連勝。続くチェルトナム競馬場のG1RSAインシュランスノービスチェイス(芝24F80y)で3着に敗れて連勝は止まったが、続くパンチェスタウンのG1チャンピオンノービスチェイス(芝24F120y)を12馬身差で制し、3度目のG1制覇を果たしたこのシーズンを終えた。
19/20年シーズンは、スティープルチェイス3マイル路線のトップ戦線で活躍。G1サヴィルズチェイス(芝24F)、G1愛ゴールドC(芝24F)という2つのG1を制した。
しかし、20年のG1ゴールドC(芝26F70y)で5着に敗れると、これを皮切りに7連敗。すると、G.エリオット師がクロスカントリーに活路を求める決断を下し、22年のチェルトナム・フェスティヴァルではG3グレンファークラス・クロスカントリーチェイスに参戦した。
22年のこのレースには、デルタワークと同厩で、このレース4度目の制覇を目指しての出走だったタイガーロールが参戦していたが、大接戦の末にデルタワークがタイガーロールに3/4馬身先着して優勝。この一騎打ちは、レース史上屈指の好勝負と言われることになった。
G3クロスカントリーチェイスで2年1カ月ぶりの勝利を手にしたデルタワークは、続いて、エイントリー競馬場のG3グランドナショナル(芝34F74y)に参戦。ここでも3着に健闘している。
デルタワークは、翌23年のG3クロスカントリーチェイスにも優勝。ところが、三連覇を目指して出走予定だった、24年のG3クロスカントリーチェイスは、折からの大雨でコースが冠水し、開催が中止になる不運に見舞われた。
デルタワークは、今季も現役を続行。12歳となって初めて迎えた実戦となった、1月25日にチェルトナムで行われたG2コッツウォルドチェイス(芝25F56y)で4着となっていた。
厩舎関係者によると、デルタワークは19日に疝痛の発作を発症。近隣のフェザード・エクワイン・ホスピタルに急送され、開腹手術を受けたが、残念ながら甲斐なく、20日早朝に黄泉の国に旅立ったという。
デルタワークは、通算40戦し5つのG1を含む12勝。95万7599ポンドの賞金を収得した。
同馬を管理したゴードン・エリオット師は、「厩舎の全員が、この悲しい知らせに打ちのめされています。長きにわたってたくさんの素晴らしい思い出を残してくれたこの馬を、私たちは心から愛していました」とコメントしている。
合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。