2025年04月09日(水) 18:01 111
▲佑介騎手と坂井瑠星騎手の対談第3回!(撮影:桂伸也)
坂井瑠星騎手と佑介騎手の対談。第3回の今回は、今や世界で活躍する坂井騎手の“原動力”となった出来事に迫ります。
師匠である『世界のYAHAGI』の快進撃を一番近くで見てきた瑠星騎手。その活躍に喜びはあったものの「めちゃめちゃ悔しかった」と本音を明かします。しかし、その時にかけられた“矢作師の一言”が瑠星騎手の意識を大きく変えました。その“一言”とは一体──。
前回はこちら▼
【坂井瑠星×藤岡佑介】「もうチャレンジャーではない」フォーエバーヤングと挑むドバイWCまでの道のり/第2回(取材・構成=不破由妃子)
──矢作厩舎といえば、いまや名実ともに世界のトップステーブルですが、思えば矢作厩舎の海外デビュー戦で手綱を取っていたのは佑介さんなんですよね。
佑介 (2008年・香港マイルの)スーパーホーネット? あれがそうなんですか?
──そうです。
瑠星 知らなかった! 佑介さんも海外で乗ったのはそれが初めてだったんですか?
佑介 うん、乗ったのはあのレースが初めてだった。でも、暮れの香港競馬自体は、その2年前と前の年に見に行ってた。今後、乗ることがあるかもしれないから、勉強しておきたいというのが目的で、週の半ばに行って、週末は普通に日本で競馬に乗ったんやけど、「追い切りに乗らんと香港に遊びに行って…」と言われてしまう時代で。実際、重賞で乗るはずだった馬をクビになった(苦笑)。
瑠星 えっ? 何でですか?
佑介 当時の日本はパートI国になったばかりで、今ほど海外に遠征するのが当たり前の時代じゃなかったからね。でも、行ってよかったよ。次の年、実際にスーパーホーネットで参戦できたわけだから。
──あのレースから『世界のYAHAGI』への道が始まったかと思うと、なんか感慨深いものがありますね。以前、矢作先生も「あれが始まりだったんだよなぁ」と、しみじみおっしゃってました。
佑介 僕、パンサラッサにもバスラットレオンにも乗ったことがあって。矢作先生には、のちに海外で勝つような馬に乗せてもらってたんだなぁと思ったことがあります。でも、バスラットレオンとかすごいですよね。あそこまで低迷した馬に対して、環境を変えて刺激を与えて、もう一度立て直した。瑠星もそう思わない?
瑠星 思います。自厩舎ながら、本当にすごいなって。
▲矢作厩舎の“立て直し”に「本当にすごい」(撮影:桂伸也)
佑介 パンサラッサは一度しか乗ったことがないけど(2020年10月18日・東京芝2000m・オクトーバーS2着)、レース後、厩舎のスタッフに「福島記念は勝てそう」と言った覚えがある。
瑠星 おー! 1年後にちゃんと勝ちましたね。
佑介 ローカルの2000mの重賞なら絶対に勝てると思ったんだよね。あの馬は光るものがあった。さすがに海外でG1を勝つとは思っていなかったけど(笑)。
瑠星 僕もあそこまで強くなるとは思わなかったというのが正直なところですが、パンサラッサが海外に挑戦するとなったときに、自厩舎の馬なのに乗れなかったのはすごく悔しかった。その前のラヴズオンリーユーも…。めちゃくちゃ悔しかったです。もう悔しさしかなかった。
佑介 自厩舎の馬だもんな。そうだよなぁ。
瑠星 当時の僕でも、自分の頑張り次第では乗れたかもしれないと思うと本当に悔しくて。もちろん、自厩舎の馬が勝ったことに対しては喜ばしい気持ちはありましたよ。でも、ジョッキーとしては…。絶対にそういう舞台で乗れるようになってやると思ったし、その強い気持ちが原動力になったところはあります。
▲「本当に悔しくて…」(撮影:桂伸也)
──ラヴズオンリーユーがBCフィリー&メアターフを勝ったのが2021年。今の瑠星さんを思うと、まだちょっと燻っていた時期ですよね。
佑介 上手なんだけど、乗っている馬のレベルと求められている仕事を思うと、もっと勝っていいはずなのに…みたいな時期でしたよね。瑠星もわかってたよね?
瑠星 もちろんです。近い存在だった中谷(雄太元騎手)さんや佑介さんに発破を掛けてもらって・・・
藤岡佑介
1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。