26年ケンタッキーダービー戦線をおさらい 今晩開催の全日本2歳優駿も注目

2025年12月17日(水) 12:00

名伯楽の期待が見える素質馬も

 カリフォルニア州のロスアラミトス競馬場で13日(土曜日)、G2ロスアラミトスフューチュリティ(d8.5F)が行われ、「ロード・トゥ・ケンタッキーダービー」に指定された一連の競走で、重賞の格付けを得たレースは、年内はこれにて打ち止めとなった。

 現段階で、ダービーポイント40点を獲得し、リーダーボードの首位にいるのが、トッド・プレッチャー厩舎のテッドノフィー(牡2、父イントゥミスチーフ)である。

 G2ブエナビスタS(芝8F)2着など4重賞で入着したストリークオブラックの2番仔で、キーンランド9月1歳市場にて65万ドル(当時のレートで約9394万円)でスペンドスリフトファームに購買されたのがテッドノフィーだ。トッド・プレッチャー厩舎から今年8月にデビュー。サラトガ競馬場のメイドン(d6.5F)を制しデビュー勝ちを飾ると、同じくサラトガ競馬場を舞台としたG1ホープフルS(d7F)を8.1/2馬身差で制しG1制覇。続くキーンランド競馬場のG1ブリーダーズフューチュリティ(d8.5F)も制し、無敗の3連勝を飾ると、陣営は同馬の4戦目に西海岸のデルマー競馬場を舞台としたG1BCジュベナイル(d8.5F)を選択。

 初の西海岸遠征にどう対応するかが焦点と見られていたが、普段通りの力を発揮したテッドノフィーは、ここを1馬身差で快勝。デビューから継続している無敗の連勝を4に伸ばすとともに、25年のエクリプス賞全米2歳牡馬チャンピオンの座を確実にしている。その後同馬は、プレッチャー師に冬場の拠点であるフロリダのパームビーチに移動。早ければ、1月31日にガルフストリームパーク競馬場で行われるG3ホーリーブルS(d8、5F)が、今季の始動戦になると言われている。ちなみに、テッドノフィーの母ストリークオブラックは、BCジュベナイルの3日後にケンタッキーで開催されたファシグティプトン・ノベンバーセールに上場されたところ、キア・ジューラブシャン氏のアモ・レーシングに、セッション最高値となる620万ドル(約9億3000万円)で購買されている。テッドノフィーは、ブックメーカー各社が発売しているケンタッキーダービーへ向けた前売りでも、オッズ6-11倍で横並びの1番人気に推されている。

 そのブックメーカーの前売りで、各社が9-13倍のオッズを提示し、2番人気に推しているのが、ボブ・バファート厩舎のボイド(牡2、父ヴァイオレンス)だ。この馬、ダービーポイントのリーダーボードに、現段階では名前がない。ここまで2戦2勝なのだが、重賞競走には顔を出したことがない馬なのだ。

 G2コンノートC(芝7F)など2重賞を制した他、G1ウッドバインマイル(芝8F)2着などの成績を残したタワーオブテキサスの甥にあたるボイド。当歳時、1歳時、2歳時と3度セールに上場されており、最初はキーンランド11月セールにて8万2千ドル(当時のレートで約1239万円)で購買されている。2度目の上場が1歳9月で、キーンランド9月1歳セールにて28万ドル(当時のレートで約4047万円)でピンフックされると、3度目の上場となったのがファシグテイプトン・ミッドランティック2歳セールで、ここでボブ・バファート調教師に見いだされ、セッション2番目の高値となる105万ドル(当時のレートで約1億5324万円)でゼダン・レーシングに購買された。転売されるたびに、馬の価値が目に見えて上昇していったのだから、たいしたものだ。

 9月7日にデルマー競馬場のメイドン(d5.5F)のメイドンでデビューすると、ここを5、3/4馬身差で制しデビュー勝ち。2戦目となったのが11月29日にチャーチルダウンズ競馬場で行われたLRエドブラウンS(d6.5F)で、ボイドはここも2、1/2馬身差で制し、無敗の連勝を飾った。2歳のこの時季に、バファート師がわざわざチャーチルダウンズまで馬を使いにいくあたり、来春のケンタッキーダービーを思いっきり意識している馬であることは間違いなさそうだ。

 さて、2026年のロード・トゥ・ケンタッキーダービーは今夜、重要な一戦を控えている。

 いわずもがな、ジャパン・ロード・ケンタッキーダービーの第2戦となる全日本2歳優駿が、日本の川崎競馬場で行われるのだ。

 近年、ケンタッキーダービーにおける日本調教馬は、急速に存在感を高めており、今宵川崎で行われるレースにも、全米の競馬関係者とファンの熱い指針が注がれる。アメリカは、今夜の結果をどのように受け止めるだろうか?

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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