2006年11月28日(火) 21:00
62年もの長い間続いてきた北海道遺産のばんえい競馬がいよいよ姿を消そうとしている。先月以来、各報道を注視し続けてきたが、ついに北見開催の最終日をこの目で見届けたくて車を飛ばした。
浦河から北見までは約300km弱、5時間の道のりだ。帯広や岩見沢は行ったことがあるものの、恥ずかしながら北見競馬場は初めてである。市の中心部から美幌方面に向かって約10分も走れば競馬場の看板が見えてくる。山の上に作られたロケーションは旭川競馬場に似ていなくもない。昭和49年にこの場所へ移転し、以来32年が経過したという。
平地競馬用の周回コースは、一応設けられていたのかも知れないが(法的制約があったはず)、ここは実質的に「ばんえい競馬専用競馬場」として使用されてきた。スタンドの大きさもほどほどで、こぢんまりとしている分、なかなか機能的に出来ている。
さて、この北見競馬場は11月27日がラスト開催となっていた。私が訪れたのはその前日からだが、不思議なことに競馬場のどこにも「北見競馬場最後のばんえい開催」であるという告知がなかった。周知のように旭川、北見、岩見沢、帯広の4市で構成する「北海道市営競馬組合」によりばんえい競馬は開催されてきた。北見市が旭川市とともにこの市営競馬組合からの離脱、撤退を表明したのは先月のことである。ということは、もう来年度以降、北見競馬場でばんえい競馬が行なわれる可能性はない、と考えなければならない。
しかし、北見市ではこの期に及んでも「北見競馬場最後の日」であることを正式に発表していないため、主催者である市営競馬組合も「大々的にラスト開催、お別れイベントなどできない」状況にあるというのだ。
市営競馬組合広報担当の古舘整氏は苦渋の表情を浮かべながら「上からそう言われているので私たちもオーラス開催として宣伝できないんです」というコメント。
民間会社ならば、派手に閉店セールをやって店じまいすることを考えるはずだが、行政のやることは所詮この程度なのだ。興行の何たるかをまるで理解していない。いや、むしろ「なるべく粛々と廃止したい」と考えるあまり、間違っても廃止反対運動などが盛り上がってもらっては困るという発想なのか。そういえば、11月27日の北見ラストデーは、ちょうど岩見沢市長が次年度以降、帯広市との共催を最終判断する日と重なった。これは単なる偶然だとはとても思えない。意識的にこういう日程を組んだのではないのか、との穿った見方をしたくなる。
ところで、4箇所の競馬場を人馬が移動して開催するのがばんえい競馬である。春の旭川に始まり、岩見沢で夏を過ごし、秋に北見、そして初冬の12月より帯広へと舞台を移す。その度に、厩舎関係者は引っ越しをしなければならない。馬のみならず、橇(そり。調教用のものを厩舎ごとに何台も所有している)、馬具や家財道具、馬繋ぎ場(鉄骨)までバラして持ってゆく。年4回もそれを繰り返すのである。
ちょうど北見開催の最終週はその引っ越しと重なった。帯広開催は翌週からである。日々の調教やレースと平行して、引っ越しのための準備にも追われるため、厩舎は戦場のような忙しさになる。さながら全国を移動巡業するサーカス団のようなものだ。そうしたさなかに、遠く岩見沢で、ばんえい競馬の存廃問題が論議され、急転直下「廃止やむなし」の結論が導き出された。
ある調教師は「役人は実に狡猾だ」と絞り出すような声で語った。廃止するにしても、それなりの手順やルールがある。最低限、関係者を納得させられるようなやり方でなければ遺恨を残す。皮肉にも、ばんえい競馬が「北海道遺産」に指定されたのは、赤字体質に陥ってからのことで、その登録に関わった北海道(高橋はるみ知事)は、公式には何もコメントしていない。奇しくもこれと同じ日(27日)、高橋知事は来春の知事選に再選を目指して立候補することを正式発表した。高橋知事に今回のばんえい競馬を巡る慌しい動きがどのように映っているものか。
いずれにせよ、お役所が競馬という興行を運営する時代は終焉を迎えた。フリーライターの梅林敏彦氏によれば、同じ公営競技の中には、浜松と船橋オートのように、民間活力導入により廃止から一転して存続への道を切り開いた前例もあるという。
全国にはかなり数多くのばんえい競馬ファンがいるはず。まだ諦めずに存続の可能性を最後まで探ることは決して無駄ではない。
(この稿、続く)
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田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。