「成せば成る」内田利雄騎手の生き方

2007年04月04日(水) 20:50

 日本馬の海外での活躍、今や当然と思わせるものがあるが、これにつれて騎手の存在も世界にアピールすることになる。人馬のグローバルなステージでの活躍という流れは、いずれにせよ歓迎すべきことだ。

 こうした中で、異色のさすらいジョッキーと呼ばれ全国行脚を続ける内田利雄騎手の海外重賞制覇が伝えられた。3月17日、遠征先のマカオのタイパ競馬場で「マカオギニー」を勝ったのだが、岡部幸雄元騎手の1994年「マカオダービー」優勝に次ぐ、日本人騎手2人目のマカオ競馬の重賞制覇となった。

 内田利雄騎手は45歳、地方競馬北関東の3000勝騎手だったが、2005年3月に宇都宮が廃止となり、調教師の夢が断たれ、年齢制限の為希望の移籍先にも行けずと不運が重なってしまった。

 そこで期間限定でも騎乗できないものかと岩手競馬に働きかけ、ようやく騎乗にこぎつけたのだった。「勝鞍1000勝以上の騎手に限り年1回2か月以内連続4開催まで」という規定がつくられ、かくして内田騎手の全国行脚は始まった。その後、南関東を皮切りに期間限定騎乗騎手が制度化されている。内田騎手は、05年6月〜8月まで岩手で騎乗してから、9月〜12月が笠松、年が明けて去年の1月〜3月が浦和、その後、兵庫、岩手、佐賀と続け、今年の1月まで浦和と全国を一巡し、2月からマカオで騎乗していた。

 どこまでこの生活を続けることができるかは分からないが、正に「成せば成る」の精神だ。不運に負けることなく、全く新しい活路を見出した内田騎手が、今後どんな騎手人生を送っていくか、こういう生き方をした騎手がいたということは、ずっと記憶されていくだろう。

 マカオにまで足跡を記した異色のさすらいジョッキー、そのニックネームは、トレードカラーであるピンクの勝負服から「ミスターピンク」。これもまた異色だ。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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