2007年10月02日(火) 23:49 1
先週に引き続き、エンデュランスのことを書く。まず簡単に「おさらい」をしておこう。エンデュランスとは、いわば「馬のマラソン」ともいうべき競技で、日本での歴史はそれほど古くなく、ここ数年の間に徐々に愛好者が増えてきた分野である。馬は耐久力に富むならば特に制限はなく、アングロアラブやサラブレッドなどの軽種馬でも、ドサンコや中間種などの血を引く乗用馬でも何でも良い。
ただし、参加資格が必要である。とりわけ「全日本エンデュランス馬術大会」(80kmと120km)に出場する馬は、それぞれ80kmの場合60km競技を1回以上完走していること、120kmの場合には80km競技を1回以上完走していること、という条件を満たしている必要がある。もちろん、騎乗者にも資格(日本馬術連盟騎乗者資格AまたはB級、エンデュランス限定B級など)が必要となる。この全日本レベルまで到達するのは容易なことではなく、そのステップとして、設けられているのが、北海道を始めとする各地の地方大会だ。鹿追でも、22日(土曜日)が全日本、23日(日曜日)が北海道と明確に区別されていた。
北海道大会は主催が「北海道エンデュランス協会」であり、距離も20km、40km、60kmという三段階に分かれる。20kmはいわば「初心者向け」の入門コースであり、資格は日本馬術連盟騎乗者資格C級もしくは全国乗馬倶楽部振興協会の3級という資格で出場できる。60kmになって初めて「競技」という名称がつけられており、20kmと40kmは「トレーニングライド」となっていた。まあ、簡単に言うと「練習試合」のようなものだろうか?
さて、話を全日本に戻す。80kmで3つ、120kmで4つのステージに分かれていることは前回触れた。そして、それぞれ(1)から(2)、(2)から(3)と進む度に、獣医師団による馬体チェックを受けなければならないことも書いた。馬を極度に疲労させないような配慮が求められるところにこの競技の最大の難しさがある。単にタイムだけを競うのならば可能な限り馬を追い続けるだけで良いが、馬への負担を一定の範囲内に止めておかなければチェックの際に失格となってしまうのだ。
そのために、騎乗者はもちろんのこと、クルーと呼ばれるスタッフの援助がかなり重要な要素を持つ。特に距離が長くなればなるほど、ステージとステージの間の休息時間にどれだけ馬を休ませて体力と気力を回復させられるかが勝負の分かれ道になるのだ。
クルーの人数に制限はないと聞いたが、120kmに出場した人馬にはたいてい複数のクルーが付き添っていた。1つのステージが終了すると同時に、一斉に馬へのケアが開始される。さながらF1レースのピットインのような光景である。こうしたクルーとライダーとのチームワークがマッチしてこそ上位進出が狙える競技と言えるだろう。
鹿追町で開催された二つのエンデュランス大会(全日本と北海道)には、一部欠場があったものの名簿上では全部で75名の参加者を数えた。もちろん馬もそれだけいるわけで、多くは北海道内の乗馬クラブから貸与された馬での参加者だった。さすがに本州方面から自馬を帯同してくるのは経費などの面からも辛く、それは現実問題として難しい。
しかし、短い距離から徐々にステップアップして行く奥の深さがあり、エンデュランスの魅力にとり憑かれるとなかなか抜けられないものらしい。8月初旬に日高で開催された「エドウィン・ダン、エンデュランス馬術大会」にも参加していた直木賞作家の村山由佳さんがまたここでも果敢に120kmに挑戦していた。惜しくも途中で馬体にアクシデントが発生したため失格となったものの、こういう人々によってエンデュランスの魅力が広まって行くのであれば、今後の発展に期待が持てる。
なお、日高からの参加者は少なく、わずか数名に止まった。120kmではサラブレッド「トライアンフI号」に騎乗した荒井亜紀さん(新冠町在住、39歳)が初めてサラブレッドで完走を果たした。元来、サラブレッドはこの競技に不向きとされてきたようで、そのジンクスを見事に破って見せた。
馬を使った競技としては、馬術と競馬がいわば双璧で、このエンデュランスはそれらと比較すると確かにハードルが低いと言える。しかし、今の日本で、気軽に馬に乗って外乗できるような場所は限られており、その意味ではまだまだこの競技を普及させるには課題もありそうだ。少なくとも、見ていて思わず目が釘付けになるような場面などはまったくなく、やはりその魅力や醍醐味は「実際に馬に乗って参加しなければ分からない」ということなのだろうと思う。なお最高齢は74歳。キャリア9年で120kmに出場した斉藤実さんという方がいる。60代、50代もゴロゴロいて、団塊の世代の乗馬未経験者でも、この競技に関してはまだ間に合う、とだけ付記しておきたい。
田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。