2008年01月08日(火) 23:49
明けましておめでとうございます。
日高地方のお正月の風物詩として知られる「浦河神社新春騎馬参拝」が今年も1月2日に行なわれた。
始まりは明治43年とも言われており、それが本当ならば来年は「99回目」を迎えることになる。歴史の浅い北海道で、およそ100年にわたり連綿と続いてきた行事はそうあるものではなく、毎年、この行事に立ち会うたびにある種の感慨に打たれる。よくぞ、続いてきたものだというような気持ちがじんわりと湧いてくるのである。
さて、今年の元旦は、雪景色で明けた。12月30日に浦河では積雪約10cmを記録し、それまでの積雪ゼロ状態から一気に冬らしくなった。2日になっても、路面は圧雪状態のままで、騎馬参拝にとってはやや厳しいコンディション。予め馬の通る道に滑り止めの塩カルや砂などを散布して準備しなければならない。この時期の北海道は、一度降雪があると、容易なことでは融けない。のみならず、ブラックアイスバーンとなって、車の運転も著しく困難な路面になってしまう。従って、どんな天候で新年を迎えるかが騎馬参拝関係者にとってはとても大きな関心事なのだ。
午前8時半。関係者が集合し、口々に新年の挨拶を交わしながら、馬の積み込みを始める。乗用馬は、山を越えて延々10kgの道のりを騎乗しなかせら神社に向かうが、ポニーは近くまで馬運車で移動する。今年は乗用馬13頭、ポニー9頭の計22頭が参加した。私事ながら、小学校4年生の我が末娘も、今年初めて石段の駆け上がりに挑戦するため、本番前からハラハラドキドキさせられた。
午前10時過ぎ。神社に向かう乗用馬の一隊が国道にやってきた。先導車を先頭に13騎が蹄鉄の音も軽やかに速歩で進む。やがて神社に到着すると、神主の祝詞に続いてお神酒が振舞われ、いよいよ101段の石段駆け上がりがスタートである。
まず、乗用馬から上の社殿を目指して石段を上がって行く。13頭のうち11頭が挑戦し、無事に全馬が社殿に到達した。そこで一頭ずつ賽銭を投げ、馬上で手を合わせる。そして、今度は石段を降りるのである。
上から見ると、地上はかなり急角度ではるか下である。まして馬上からではなおのこと落差を感じるだろう。毎年、駆け上がりよりも、実は降りる時の方が肝を冷やす。良くぞ今まで目立った事故も起こらずにいたものだと思う。無事に地上まで到達すると、期せずして見学客から拍手が湧き起こる。乗用馬たちはそのまま隊列を組んで、帰路につく。
乗用馬と入れ替わりで神社にポニーが登場した。今年は9騎。最年少は小学校2年生。浦河ポニー乗馬少年団の団員たちで全員小学生である。保護者がそれぞれ口を取り、馬について石段を上がる。そして、社殿で賽銭を投げ入れ、手を合わせて今年一年の人馬の無病息災と家内安全を祈願する。その後一頭ずつ石段を降りてゆく。
騎馬参拝は、北海道でもここ浦河の他、函館と帯広で行なわれている程度という。函館神社は石段の数が浦河よりも多く、確か134段だったと聞いた。しかし、合わせて20頭もの馬が参加するのはここ浦河神社だけだろう。まさしく馬産地ならではの行事と言えよう。
冒頭で記したように、もし戦時中の中断などがないとすれば、再来年は記念すべき100回目となる。いったいどんな形で節目を迎えるのかを早い段階から考えておかねばならないだろう。神社にとっては、おそらく石段を馬で駆け上がるというのは、決して歓迎できないはず? だが、しかし、長年にわたり続いてきた伝統行事であり、いまさら断るとは言い難いところ。なるべく負担や犠牲を軽減するようにして、どうやったら騎馬参拝を盛り上げられるか、知恵を絞らなければならない。
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田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。