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怪鳥の幻影を追って その3(完結)
2011年12月15日(木) 17:40
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陣営が選んだ壮行レースは2月のオープン特別・ヒヤシンスS。蛯名正義に乗り替わる予定だったが、騎乗停止のため菊沢が引き続き騎乗することとなった。
海外遠征への壮行レースと言うと、シンボリルドルフの有馬記念、タイキシャトルの安田記念、それに最近ではヴィクトワールピサの中山記念が成功例だろう。しかし、アーリントンミリオンを目指していたオグリキャップや、凱旋門賞を視野に入れていたスペシャルウィークの宝塚記念、エスポワールシチーがBCクラシックを狙って出走した南部杯、そして最悪のケースとして1978年、テンポイントが酷量を背負い競走中止となった日経新春杯など、必ずしも良い結果に収まる訳ではない。中山で行われたヒヤシンスS、人々が驚愕する結末がそこでは待っていた。
圧勝続きのスシトレインに恐れをなしたか出走頭数は7頭。当然のごとく1.3倍の1番人気に支持されたスシトレイン。だが骨っぽい面子が集まった。2番人気のビッグウルフはダートなら3戦2勝2着1回。3番人気のハツラツは前走のバイオレットSで1番人気だった馬である。しかし、ファンの大部分はレースはスシトレインの圧勝で幕を閉じる、そう思っていたろう。
現実とは残酷なものだ。先行する他馬を尻目にどうも行きっぷりが悪い。3コーナーで菊沢の手が動くも反応しない。ズルズル後退したスシトレインは、シンガリという位置でゴール板を駆け抜けた。
勝ったのはビッグウルフ。タイムは1:53:0。戦ってきた相手が違ったのか?それとも単に重い馬場専用の馬だったのか?はたまた馬が変わってしまったのか?もちろん米国遠征は白紙に。しかし、この時点ではまだ陣営は"夢"を捨てていなかった。
その後の彼の成績について多くは語らない。3戦して掲示板無し。最後のレースから5日後の2004年8月13日付で登録を抹消された。現在は茨城のある乗馬クラブで乗馬として日々を過ごしているという。
対してビッグウルフは順調に成長。交流G1を制すほどの馬になった。だが、運命とは恐ろしい。古馬になると負けが込み、地方へ流れて行った彼は2005年12月1日、園田で戦死を遂げたのであった。
スシトレイン。彼に競馬ファンはエルコンドルパサーの幻影を見た。欧州の次はアメリカ。日本馬がアメリカ競馬の頂点を極めるという幻を見たのだ。そして幻は儚くも消え去った。でも、彼の名は人々の記憶に強く残った。それだけで十分なんじゃないか。
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