2008年05月07日(水) 14:00
希望の星、輝きを放つその姿は、この先に続く救いの道を示してくれる。みんながなにかにつけ、希望の星を追い求めるのは、ある種の宿命から解放されたいと願っているからではないか。人間の宿命は、決して明るくはない。だから、行く先を照らしてくれる光りに憧れる。なるべく近くにその光りが差し込んではいないか。
そうした心の求めに応じてくれるものとして希望の星は存在する。
刺激の強すぎる日々の生活に押しつぶされそうになったとき、ほっと安堵したく訪れる場所が誰にもある筈だ。しかし、より人間的なところ、刺激的な魅力に溢れる場所に、どうしても心引かれてしまう。これも仕方のないことだ。
競馬場の中は、人生の縮図を見るようなものだとよく言われるが、もっとわかりやすく、競馬そのものにこそ自分をオーバーラップさせることが出来る。特に、物言わぬ馬にこそ、自分の姿を見ることが。レースの上辺だけで済ましてしまえば、そこにあるのは勝った負けただけで終わっていくが、そんな単純なことでは長続きしない。心引かれるもの、それがなければ、こんなに競馬が歴史を重ねてきた筈もない。なにかあったから、長く人気を引いてきたので、どうせつき合うのならその域まで達してみたい。きっと、強い刺激の中にあっても安堵の領域を見つけられる筈だ。
安堵は明るい光り、希望の星がそれを叶えてくれる。希望の星は馬であっても人間であってもいいが、分かりやすいのは人間。競馬なら騎手だ。騎手の中の希望の星、その存在は重要だ。常に人の気を引く存在、それが希望の星だが、遙か先を突っ走る憧れの存在よりも、ハラハラしながらも常に身近にいて、進む道を照らして行くような、新鮮なプレイを見つける方が、心の糧になる。自分なりの希望の星を見るけるのが、競馬の意味だと。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。