2008年06月10日(火) 14:49
このほど、浦河町内の5軒の牧場が集まり、一つの中期育成牧場をオープンさせた。それに先立ち、10日(火)には、関係各位を招いて牧場のお披露目が行なわれた。
名前を「イーグルファーム」という。場所は浦河町富里。昨年より起工し、厩舎2棟(20馬房×2)、従業員寮、ウォーキングマシーン2基、屋根つきロンギ場などが完成した。総事業費は2億4千万円弱とも言われている。
この牧場は、5軒が共同出資し、「競走馬生産振興事業」(総額169億円に上る5か年計画の生産振興対策事業)の中の「軽種馬経営構造改革支援事業」の一環として認可を受け、設立されたものだ。総事業費に占める補助金の割合は3分の2に及び、約1億6千万円に達する。
平成17年度より始まったこの事業は、初年度に3件、18年度に5件、19年度に9件の新規事業が承認され、日高各地で共同化と協業化を目指し、現在も工事が続いている。このイーグルファームは、いわゆる「中期育成牧場」として、5軒の生産者が生産する当歳馬を離乳後から翌年秋までの1年間、育成する施設で、代表の小田隆範氏(ダイヤモンドファーム)によれば、本場の他、分場も合わせると54馬房で総面積40町歩近い規模になるという。
JRA日高育成牧場やJAひだか東、浦河町役場などの面々とともに、地元新聞社などにも施設見学を呼びかけたとのことで、私も末席に加えてもらい、一通り見せていただいた。
2億4千万円というのは途方もない金額だ。いったいどこにそんな大金が投入されたものか、という気がしなくもないが、補助金の交付される事業は概して割高な単価に仕上がるといい、厩舎も寮も、ウォーキングマシーンなども、言うならば「定価販売」なのだろう。厩舎の横には、競馬場のパドックと同じような材質で作られた「馬見せ場」まで設置されていた。真ん中の丸い部分と外側には芝生が貼られ、スプリンクラーが回転しながら散水していた。
この牧場は、原則として、グループ内の各牧場で生産された馬たちを預かることが第一義だが、馬房数は前述のように54馬房もあり、将来的には他の(グループ以外の)牧場からも生産馬を受け入れる予定という。また、1歳市場に上場予定の馬をコンサイニングする計画もあり、「本場にある40馬房はほぼ埋められるものと考えている」(小田代表)という。
グループ5牧場で生産されるサラブレッドは合わせて年間20頭〜25頭程度。それらが全てここに離乳後集められたとしても、馬房は余ることになり、グループ外からの預託馬を受け入れることは経営上からも不可欠の要素なのである。
補助金が使えるのは用地収得や施設の建設費用のみ。牧場の維持管理や運営に関わる部分は、グループ内の各牧場がそれぞれ新たに拠出する資金によって賄われる。
つまり、各牧場は、自分の生産した馬を離乳後にここへ預け、毎月預託料を支払わなければならないのである。当歳秋から1歳秋までの約1年間、ここに生産馬がいる間はずっと預託料負担がついて回る。仮に1か月1頭10万円と計算すると、120万円の負担になるわけだ。
それらは、生産原価に上乗せされ販売価格に転嫁される。相対的に1歳馬の価格がやや下降気味になってきている昨今、果たしてこの120万円をも加算した価格設定で生産馬を売りさばけるかどうかがポイントとなろう。
とはいえ、ここまで来た以上、もう後戻りはできないのが現実で、ひたすら「信じた道を突っ走る」以外に選択肢はない。グループの一人は「ここに1歳馬を持ってくることで自分の牧場には余裕が生まれる。新たに繁殖牝馬を増やすこともできるし、放牧地を交代で休ませることも可能。メリットはある」と言い切る。
生産地(とりわけ日高)は今、大きな過渡期に差しかかっていると言われる。大手の進出著しい日高西部に対抗して、中部以東の各町では、こうした小規模生産者がグループを作り、新たに協業化や共同化に乗り出すケースが徐々に増えてきた。まだスタートしたばかりで先のことは何とも分からないのだが、一つだけ言えることは、169億円もの補助金が生産地対策のために予算化されるのはおそらく今回限りであろう、ということ。依然として自重し様子を眺めている生産者もいれば、こうして新たに共同化に踏み出す生産者もまたいる。それぞれが生き残りを賭けて、様々な方法を模索しているのである。何もしなければジリ貧に陥るのは間違いなく、だとするならば、いったい日高の生産者は今自分にどんなことができるのか、をみんな悩みながら考えているのだ。
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田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。