2008年06月25日(水) 14:05
競馬史に残る名勝負、それには万人が認めるものもあれば、そうでもないものもある。しかし、どんなものであれ、そこには人それぞれの思いが込められている。また、名馬についても同様だ。
よく、名馬名勝負の話しをしていて、こちらの昔話に相槌を打つ若者がいて驚かされることがある。どう考えても青年が生まれたばかりの頃の競馬なのに、どうして知っているのか。かつての自分のことを忘れて、そう思ってきたが、よくよく考えてみれば、大して不思議でもない。なにかで読んで知識となってきたのだ。
先日もある競馬関係者と話をしていて、東京競馬場にあるトキノミノルの馬像に話が及んだのだが、レースを見たこともないのにダービーのこと、そしてそのサイドストーリーをベラベラとしゃべっていたのだ。たまたまその方は私より若かったので、大して疑問を抱かずにいたと思うが、この知識は、残された記述を色々と目にして蓄積されていたものだった。これに限らず、どれだけ見たこともない名馬名勝負を他人に語ってきたことか。
しかし、競馬は語り合うことで楽しさは倍増する。また、それによって名馬名勝負は伝承されてもいく。
競馬の人気を馬券の売り上げをバロメーターにうんぬんすることが多いが、それだけでは淋しい。競馬にどれだけ心を打つものがあったか。伝える側も、どこに目をつけるべきか、言ってみれば競馬の基本に立ち戻ってみるのが大切なのだということだろう。
かつての名馬名勝負を語り合い、目の前のレースの中にそれに近いシーンを見つけ出すことが出来れば、この上ない。今では、ビデオ、DVD、インターネットと、名馬名勝負を再現する手立ては広がっている。繰り返し目にすることで、感動が薄れることはない。また、その出合いも忘れない。その中から自分なりの宝物も生み出されていくのだ。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。