フランケルの調教師ヘンリー・セシル死去

2013年06月12日(水) 04:21 1 9

競馬史上で最も偉大な成功を収めた調教師のひとりである、サー・ヘンリー・セシルが70歳で亡くなった。

彼は英ダービー4勝、英オークス8勝を含む英クラシック25勝を挙げたほか、14戦無敗のフランケルを手がけたことで競馬界に足跡を残した。

フランケル以外のおもなチャンピオンには、スリップアンカー、オールドヴィック、ロイヤルアンセム、インディアンスキマー、オーソーシャープ、クリス、リファレンスポイントが挙げられる。

2011年にはこれまでの功績を称えられ、エリザベス女王からナイトの爵位の叙勲された。

ヘンリー・セシルは1943年1月11日生まれ。生まれる6週間前に空軍士官だった父を亡くし、調教師だった継父のもとで育った。1964年に調教助手となり、1968年に継父が引退するとその後を継いだ。

セシルは調教師になるとすぐに頭角を現し、1973年には異母兄が生産したクルーナフで愛1000ギニーを勝利し、最初のクラシック制覇を遂げた。1975年にボルコンスキで英2000ギニーを勝ち、英クラシック初制覇。1976年には初の最優秀調教師となり、以後10回その座に就いた。

シェイク・モハメドの所有馬を管理して調教師としての名声を確固たるものとし、1985年にはスリップアンカーで初の英ダービー制覇を成し遂げた。1995年にシェイク・モハメドが彼のもとを離れると低迷したが、後にフランケルの所有者となるハーリッド・アブドラの支援を受けて苦境を脱した。

2006年に胃がんで闘病していることを明らかにする。闘病により体力的な衰えがありながらも2008年にはライトシフトで英オークスを制覇。そして2010年、彼はフランケルとともにその調教師人生の集大成をスタートさせる。

フランケルは2011年、結果的にセシルの最後のクラシック勝利となる、英2000ギニーを8馬身差で圧勝するなどこの年G1を4勝。セシルはフランケルを3歳で引退させず現役続行させ、翌年さらに5つのG1を勝利した。セシルはフランケルの引退レースの際、「フランケルは私がこれまで出会った馬のなかで最高の存在だ」と語った。


【補足】
「フランケルの調教師」という説明だけでその偉大さは誰しもが理解できるでしょう。フランケルの現役時からすでに声を出すのも厳しい様子が見て取れ、競馬への情熱が彼を支えていた、そんな印象のある晩年でした。ご冥福をお祈りします。

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